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2014-02-10

保険で支払われる事の怖さ


先日久しぶりに、お馴染みの美容院に行ったときのことです。

 お店が改装された様に綺麗なので聞いてみたら、車がお店に飛び込んでメチャ
メチャに壊されてしまったそうです。
 3台の化粧台が倒され、それで足をけがしたそうです。
 その上水道管が破裂してお店がすっかり水浸しになり、道具類のほとんど全部
が使い物にならなくなったそうです。
 ところが、運転されていたご婦人は,悪びれることもなく 落ち着いて
 「すみませんでした。」と一言いわれただけだったそうです。
 そして、「後は、保険でやってもらいますから。」と、言われると水浸しのお
店からさっさと帰られたそうです。
 保険で払うからそれで良いと思って、ろくにあやまりもしない態度に腹を立て
て、今だに涙を浮かべて話してくれました。
 最後のお金は、保険で払うとしても、心から謝る必要があったのでは,ないで
しょうか?
 
さて、皆さんなら どうされますか?

 加納孝子
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 カネさえ払えば可いだろうという考えは不幸だと思います。
 お金は、物質で有あって徴(しるし)なわけですから、お金に心が伴わなければそれが充分な大金で有ったとしても畢竟空しきものなのだと思います。
 或いはむしろ、充分なお金を持っていなくても、心を尽くせば、諦め赦すことが出来るのにと、残念な気がします。
 もし、過失を起こした側の人が
「ご迷惑をおかけしてごめんなさい、申し訳ありません、心から謝ります」「でも、今はお金をこれしか持っていないのです、これで済まされるものでは有りませんがどうか受け取って下さい。」と言って、心を添えたお金で有れば、もし弁済に不十分の金額で有っても気持ち良く受けることも出来るし、被害を受けた側もの気持ちにも赦す余地が生まれるのではないだろうか、
 なにか事が起きても、心を尽くせば互いに一歩引いて互いにある程度我慢して、和解することが出来ると思います。
 そうした意味で、保険屋さんに任せたから、とか、弁護士に任せたから、というやり方は、和解が出来ない不幸なやり方だと考えます。
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黎明教育者連盟

Author:黎明教育者連盟
黎明(れいめい)教育者連盟は皇室を敬い、伝統文化を守り、戦後の誤れる教育を正し、­日本の再興を子供の教育から目指す教育団体です。
小学生向けの「寺子屋」や、親子参加型の「親子寺子屋」「乳幼児寺子屋」などを中心に、絵画­教室、書道教室、礼法教室、着物教室、歴史講座、古事記勉強会、童謡・唱歌わらべ歌の­­­会、子育て相談などを運営しています。現代の興廃した教育環境の中で、自分の子供­にはどんな教育をしたらいいか、お悩みではありませんか。日本人として誇りの持てる人­生­を­お子様には歩んでほしいものです。どなたでも参加出来ます。ぜひお気軽にお問­い合わせ下さい。
http://reimei-kyoren.com

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