2014-06-30
シンガポールで聴いた「ふじの山」
昨年の秋、箱根に行きました。青空に聳え立つ富士山を見て私は日本人であることを誇らしく思いました。
世界遺産に登録されたこともあって、箱根は外国人が大勢来ていました。美しい富士山に魅せられて、一生懸命写真を撮っていました。
富士山には私は忘れられない想い出があります。今から20年ほど前、私は主人の仕事でシンガポールに住んでいました。そこで一人のシンガポール女性と知り合いました。彼女の名前はジャニス ヨーと言い、主人の勤めていた住友海上シンガポール支店の社員でした。
主人が出張の時に秘書から私が一人で家に居るので、行きたいところはないかと、尋ねてきました。私は市場に行きたいと云いました。そこに案内してくれたのがジャニスでした。
彼女とは年齢も同じということもあって、気が合い、一緒に市場に行ってからは食事や、音楽会に誘われて仲良くなりました。
ある日のこと、主人からジャニスの父親が亡くなって今日葬儀に行く。よかったら私も行くか? と云われたので、ついて行きました。
葬儀会場に着くと、近所の人たちや家族が集まっていました。祭壇にお参りして椅子に掛けているとジャニスがそばに来て、そこで彼女のお母さんを紹介してくれました。
私達が声をかけようとしたときです。突然お母さんが「本日はようこそお出で下さいましてありがとうございました。」ときれいな日本語で挨拶されました。
主人と私はビックリして、「日本語お上手ですねぇ!」と申しますと。お母さんは「私はシンガポールが昭南島[戦時中]と呼ばれていたときに日本人の先生から日本語を習いました。富士山の歌も歌えます。」
”頭を雲の上に出し四方の山を見下ろしてかみなり様を下に聞く富士は日本一の山^”
とても懐かしく、感動しました。まさかシンガポール人から日本の歌を聞くとは思ってもみませんでした。と同時にシンガポールの少女に美しい日本のことをを教えてくれた素晴らしい日本人の先生がいてくれたことが嬉しくて仕方ありませんでした。
あとで聞いたのですが、彼女は12歳になるまで家が貧乏だったので学校に行け無かったそうです。それが日本が統治するようになると学校に行くことが出来るようになったのです。嬉しくて嬉しくて一生懸命勉強しました。日本語も覚えました。今でもアイウエオ全部言えます。大きく成ったらお金を貯めて日本に行ってみたい。と思ったそうです。
その夢は叶ったのです!
富士山も桜も見ました。日本語で買い物もできました。日本語が上手だと褒めてくれました。とても幸せでしたと 嬉しそうに語ってくれました。
3年ほどの日本統治時代に、シンガポールの子供に夢と希望を与えてくれた日本人が居たことを私は誇りに思いました。
崩田
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