2019-03-06
〝皇室伝統に沿った御代替わりの儀式〟の再興を願って
〝皇室伝統に沿った御代替わりの儀式〟の再興を願って
一、始めに
今回の今上陛下から皇太子徳(なる)仁(ひと)親王殿下への御譲位(ごじょうい)としての皇位継承は、閑院宮(かんいんのみや)の光(こう)格(かく)天皇(てんのう)から仁(にん)孝(こう)天皇(てんのう)への御譲位(ごじょうい)以来凡(およ)そ二百年ぶりの御(ご)慶事(けいじ)になります。日本国憲法(占領憲法)・現行(げんこう)皇室(こうしつ)典範(てんぱん)(占領(せんりょう)皇室(こうしつ)典範(てんぱん))並びに明治(めいじ)皇室(こうしつ)典範(てんぱん)(正統(せいとう)皇室(こうしつ)典範(てんぱん))では、『譲位』規定がないので、今回は現行皇室典範に補足する形で『天皇の退位等に関する皇室(こうしつ)典範(てんぱん)特例法(とくれいほう)(成立:平成二十九年六月九日、公布:平成二十九年六月十六日 以下『退位特例法』)』が国会で制定されました。そして政府内の「天皇陛下の御退位及び皇太子殿下の御即位に伴う式典(しきてん)委員会(いいんかい)(以下『式典(しきてん)委員会(いいんかい)』)」によって御代替(みよが)わり儀式(ぎしき)の準備が執り行われています。
そして式典委員会が発表している『天皇陛下御退位に伴う式典の考え方』のなかにある「憲法(けんぽう)の趣旨(しゅし)に沿(そ)い、かつ、皇室(こうしつ)の伝統(でんとう)等(とう)を尊重(そんちょう)したものとする」と基本方針の下で、四月三十日に「退位(たいい)礼(れい)正殿(せいでん)の儀(ぎ)」、五月一日に「剣璽(けんじ)等(とう)承継(しょうけい)の儀(ぎ)・即位(そくい)後朝(ごちょう)見(けん)の儀(ぎ)」、十月二十二日に「即位(そくい)礼(れい)正殿(せいでん)の儀(ぎ)」、十一月十四日・十五日には「大嘗祭(だいじょうさい)」と御代替わりの重要な諸儀式が斎行される予定となっています。
さて一世(いっせい)一代(いちだい)の喜ばしい御代替わりの儀式において、現在政府が計画(けいかく)立案(りつあん)して遂行している一連の儀式が果たして皇室伝統に則した歴史ある立憲(りっけん)君(くん)主(しゅ)国(こく)・天(てん)皇国(のうこく)日本(にほん)の儀礼として相応(ふさわ)しいものなのでしょうか。実は現行法制下においては、皇室伝統が破壊され、本来の皇位継承の在り方に齟齬(そご)が生じているのではないかという問題提起と、本来の皇位継承・御代替わりの儀式の再興を願いつつ論じてみたいと思います。
二、次善の策〜「退位特例法」から「『譲位』特例法」への改正を〜
天皇陛下・皇后陛下は今回の御代替わりにあたっては一貫して『譲位』という皇室伝統に基づいた正しい言葉を使われているにも関わらず、政府・国会、並びにマスコミは日本国憲法の解釈から「生前退位」「退位」いう言葉を用いています。
留意しておきたいのは、憲法学者の宮澤(みやざわ)俊(とし)義(よし)氏の影響を受けた戦後憲法学は「退位」という言葉を「天皇制廃止」から「共和制」への移行のために意図的に用いているという事です。宮澤憲法学の下(もと)に「国民主権」や「政教分離」の概念を駆使しながら、現在の内閣法制局や宮内庁などが御代替わりの儀式を、憲法解釈をして「退位」「即位」の分離や諸儀式を「天皇の国事行為・皇室の公的行事・皇室の私的行事」と区分けして遂行しようとしています。
今回の天皇陛下の御意思による「譲位」或いは「退位」に関しても、憲法解釈として内閣法制局は、「国事行為には当たらないが、国政に関する機能の行使には当たるのではないか」という主旨の見解を述べて「憲法違反」の疑義があるとしています。もっとも「譲位」は「国事行為に含まれていないので、国政に関しない機能」とも解釈できそうなものです。ところが天皇陛下が皇太子殿下に皇位を御譲りになるのが「国政に関する機能の行使に当たる」と理解しているので、天皇陛下の御意思がより強く含まれる「譲位」ではなく「退位」という言葉を使い、天皇陛下の御意思を排する形で憲法第四条違反にならないように、あくまで政府・国会主導で「退位特例法」を制定して天皇を「退位」させ、時間的連続性のある『譲位・受禅の儀』という皇室伝統に則した皇位継承の在り方を否定して、「退位礼正殿の儀(退位礼)」「剣璽等承継の儀(即位礼)」を分離して挙行を企てているという訳です。
しかし占領(せんりょう)典(てん)憲(けん)を前提にするにしても、南出喜久治氏が指摘なさるように、占領典範第四条「天皇が崩じたときは、皇嗣が、直ちに即位する」を限定的に「天皇の御叡意による譲位は、この限りではない」として、「譲位の場合は皇統連綿における時間的間隙がありませんので、今上の叡意によって自由になさればよい」(注1)と解釈して『譲位・受禅の儀』による御代替わりの儀式を斎行しても良かったのではないでしょうか。
本来ならば、皇室の自治と自律を奪う「占領典憲並びに退位特例法」は無効であって、正統(せいとう)典(てん)憲(けん)を復元して皇室典範を御皇室に奉還して「皇室会議」でなく天皇陛下が中心となった『皇族会議』で皇位継承をお決め頂くのが正道です(注2)。
しかし、仮に今はそれが難しいのなら、そもそも法解釈は、その国の歴史・慣習・伝統文化を踏まえて為すべきであって、現行法制下であっても、占領憲法第二条の『世襲』の概念を踏襲すれば、わが国の皇位継承は皇室伝統の上では時間的連続性のある「崩御(ほうぎょ)・践祚(せんそ)(諒闇(りょうあん)
践祚(せんそ))」「譲位(じょうい)・受禅(じゅぜん)(受禅(じゅぜん))」しかあり得ません。
現行皇室典範には、皇位継承に連続性を持たせる『践祚(せんそ)』の概念はないですが、昭和六十四年一月七日の昭和天皇崩御の際には、皇太子殿下(現在の今上陛下)が『同日』に「直ちに即位」され、実質上は『崩御・(諒闇)践祚』の皇位継承がなされました。であるならば、同じ日本国憲法(占領憲法)体制下の今回の御代替わりの儀式においても時間的間隙をつくらない形での『譲位・受禅践祚』の儀式を斎行しても問題ないはずです。
更に「退位特例法」第二条「天皇は、この法律の施行の日限り、退位し、皇嗣が、直ちに即位するものとする」とあるので、四月三十日「退位礼正殿の儀(退位礼)」・五月一日「剣璽等承継の儀(即位礼)」の分離挙行は「退位特例法」にさえも違反していることにもなります。
この四月三十日「退位礼」、五月一日「即位礼」の分離は、平成二九年一二月一日の皇室会議で決められたとされていますが、「皇室会議」とは名ばかりで「皇室」を監視弾圧する機関と化しています。一刻も早く天皇陛下中心の『皇族会議』を回復しなければ皇室の式微(しきび)は留まることを知らないと思います。
この様に今回の「退位式」「即位式」の分離は皇室伝統からも日本国憲法からも現行皇室典範ならびに「退位特例法」にさえも違反している状態なのです。このような皇室伝統という『法の支配』に対する〝不法〟や現行法制の『法治主義』に対しても〝違法〟となる状態で、一世一代の御代替わりの儀式を汚して果たして良いものでしょうか。
また今回、皇位継承に空白を生じさせる事例を作ることで、次の御代替わりの際に皇位継承で新たな揉め事が起った際に、皇位に長い「空白」が生まれ最悪の場合には「皇統断絶」
「天皇制廃止」へと向かわないかと危惧されます。なぜなら今回の「退位特例法」は「天皇の強制退位」「皇嗣の不就位」の法解釈の余地や、女性天皇・女系天皇への道を開く「女性宮家」を規定する皇室典範改定への道を開きかねない内容を持っているからです(注3)。
今回の皇位継承の在り方を考えれば、政府・国会は、今上陛下が宮内庁にお示しになられたように(注4)、光格天皇の御事例を踏まえた「譲位・受禅の儀式」を考えていくべきであり、その為には、次善の策として「退位特例法」を廃止して、皇室伝統を最大限に重んじた「皇室典範増補(『譲位』特例法)」に改正して天皇陛下に奉呈すべきだったと思います。
三 譲位・受禅の儀
今から凡そ二百年前に御譲位をなさった光格天皇は、朝議の再興・復古にご尽力あそばされた天皇でした。とりわけ大嘗会・新嘗祭の復古、禁裏(きんり)御所の復古的造営、伊勢公(く)卿(ぎょう)勅使の復古、石清水八幡宮・賀茂社の臨時祭の再興、さらに光(こう)孝(こう)天皇(てんのう)以来になる天皇号・諡号(しごう)の再興などが挙げられます。その際には先例の儀式を学ぶために有職(ゆうそく)故実(こじつ)の学問も盛んになりました。
光(こう)格(かく)天皇(てんのう)から皇太子恵(あや)仁(ひと)親王殿下(仁(にん)孝(こう)天皇(てんのう))への「譲位・受禅の儀」も平安時代の先例に学びつつ荘厳かつ盛大に斎行されました。
皇室伝統に沿った『譲位・受禅の儀』の内容は概ね以下の四点になります。
1 宣命(せんみょう)の儀
内裏(だいり)の紫宸(ししん)殿(でん)にて、天皇と皇太子が相向かわれ、皇太子に向かい宣命大夫(公家)が譲位の宣命文を読み終わると同時に、皇太子が新帝になられる。(今回の御代替わりの儀式には「宣命の儀」がありません。)
2 剣璽(けんじ)渡御(とぎょ)の儀(剣璽等承継の儀)
新帝、前帝(上皇)・皇太后(上皇后)の同列にお座りなられ、新帝の御前に剣と璽、国璽と御璽が渡御される。その後剣と璽は御所の「剣璽の間」に遷幸される。
3 御笏(おんしゃく)・御袍(ごほう)捧持(ほうじ)の儀
内侍二名が御笏(象牙製の牙笏(げしゃく))と御袍(ごほう)(黄櫨(こうろ)染御袍(ぜんのごほう))を捧持して儀場に入り、前帝の前の案(机)に並べる。前帝の了解を得て、新帝の傍に御笏・御袍の乗る案が捧持される。新帝が拝礼され、前帝が目礼で応答。新帝が儀上から出御される。
4 祝賀(しゅくが)御列(おんれつ)(パレード)の儀
平安時代からの『譲位・受禅の儀』はすべて内裏・紫宸殿(ししんでん)で行われています。
光格天皇から皇太子恵(あや)仁(ひと)親王殿下(仁孝天皇)への『譲位・受禅の儀』は例外で、文化十四年(西暦一八一七年)三月二十二日の一日で行われ、午前八時から仙洞(せんとう)御所(ごしょ)への光格天皇の行幸パレードで始まり、午前中に仙洞御所にて譲位の儀(節会(せちえ))、午後清涼(せいりょう)殿(でん)で受禅の儀(宣命)・紫宸殿で剣璽渡御の儀が行われ、夜に饗宴(きょうえん)の儀が清涼殿で行われたようです。
宮内庁の作成資料『歴史上の実例』では、いくつかの史料誤読、或いは史料改竄がなされています。
例えば『光格天皇実録』の紹介で、「光格天皇の譲位の際の例」とタイトルが銘打っていますが、正しくは「光格天皇・皇太子の譲位と受禅の例」、式場も「桜町(さくらまち)殿(でん)(仙洞御所)」のみ記載され、正しくは「儀場 桜町殿、清涼殿及び紫宸殿」とすべきです。
また光格天皇の『御譲位パレード』を、「築地の内の公家や所司代の関係者からお見送りを受けたもので,公衆に披露する御列(パレード)ではない。」としており、国立公文書館デジタルアーカイブに所蔵されている『桜町(さくらまち)殿(でん)行幸図(ぎょうこうず)』を見れば、その嘘が一目瞭然でわかります。
今上陛下が御譲位をご決意なさるにあたり、光格天皇のご事例を調べるよう宮内庁に御下問があったのであれば、宮内庁は歴史事実を枉げずに上奏するとともに、内閣総理大臣始め国務大臣・国会議員は、光格天皇の先例に則して『譲位・受禅の儀』を斎行しようと尽力するのが『臣下』の務めだと思います。とりわけ宮中に於ける儀式を管轄する宮内庁にあって、「歴史史料」が「公文書」としての特質を持つものであるとすれば、歴史史料を捻じ曲げてまで「退位礼」を挙行しようとするのは「公文書偽造の罪」にはならないのでしょうか。
四、「退位(たいい)礼(れい)正殿(せいでん)の儀(ぎ)」「剣璽(けんじ)等(とう)承継(しょうけい)の儀(ぎ)」
政府による、第3回 「天皇陛下の御退位及び皇太子殿下の御即位に伴う式典委員会」に提出された資料によると、「退位礼正殿の儀」は4月30日午後5時から5時10分までの凡そ10分間、また「剣璽等承継の儀」は、5月1日午前10時30分に始まり、おおむね午前10時40分までの約10分で終わる予定になっています。
日本経済新聞の報道(平成三一年一月一八日)によると「政府は一連の儀式が憲法に抵触しないよう配慮した。憲法1条は天皇の地位は国民の総意に基づくと定め、4条は天皇の国政関与を禁じる。天皇が自らの意思で皇位を譲ると表明すれば、憲法に抵触しかねない。このため退位の儀式では陛下自ら天皇の地位を退く趣旨を述べない。首相が陛下の「お言葉」に先立って退位を宣言し、陛下への謝意を示す。歴代天皇に伝わる三種の神器のうち剣と璽(じ=まがたま)、公務で使う天皇の印の御璽(ぎょじ)なども陛下が出席する退位の儀式では引き継がない。用意された机の上に飾るにとどめる。皇太子さまに神器などを目に見える形で引き渡すと、自ら皇位を譲る意思を示したと受け取られる可能性があるからだ」と伝えています(注5)。
この報道の通りだとすると、『皇室伝統』に則った『儀式』による皇位継承でなく、占領典憲・「退位特例法」などの『現行法制』の曲解に基づく継承です。天皇陛下の御叡慮である『譲位』が完全に否定され、首相による「退位宣言」となり、天皇の「退位」を政府・国会が恣意的に決定する事例となってしまいます。
また「退位礼正殿の儀」のあとの「剣璽」の所在は何処になるのでしょうか。斎藤(さいとう)吉(よし)久(ひさ)氏が指摘するように、「陛下とともに御所に戻るのか、それとも東宮に遷るのか、それともいったん賢所に遷るのか。いずれにしても、剣璽は皇位とともにあるという皇室の伝統にそぐわない状況が約17時間、発生する」ことにならないでしょうか(注6)。
そして今回の「剣璽等承継の儀」に於いて皇太子殿下に剣璽を渡す主体は何処になるのか。杞憂かもしれませんが、もし政府という事になれば、一時的にも天皇から時の政府に剣璽が簒奪(さんだつ)されたことにならないでしょうか。
今上陛下から皇太子殿下に剣璽等が直接承継されないとすれば、「受禅」も成り立たず、一時的な「皇統断絶」あった、あるいは神武天皇から続いた125代の皇室伝統が途絶え日本国憲法に基づく新たな皇朝(王朝)が始まると受けとられかねない憲法解釈が成りたつ可能性が出てくることを危惧します。このままいけば、まさに皇室伝統に基づく『世襲』原理から『国民主権』に基づいた『国民の総意』による皇位継承へと力点が移行したことを示す事例になってしまいかねません。
本来の皇位継承は臣民(国民)の干渉を断じて許してはならないのです。
五、まとめ
今回の一連の御代替わりの儀式には、他にも政府による天皇の改元大権の剥奪・経費削減に伴う大嘗宮の簡素化など数多くの疑問・問題点や課題が見られ、今後の皇位継承に禍根を残すのではないかと危惧されます。
今後の皇室の在り方は、早急に皇室の自治と自律の回復の為の施策をなすことが必要だと思います。具体的には少なくとも以下の事に着手していくべきです。
① 占領憲法無効宣言を為すとともに、大日本帝国憲法現存確認宣言をすること。
② 正統皇室典範を復元して御皇室に奉還すること。
③ 復元された正統皇室典範を中心とする宮務法体系と復元された大日本帝國憲法を中心とした国務法体系の二元体制の整備をすること。
④ 皇位継承の安定化のために旧宮家の皇籍復帰を為し、堂上公家の復活を含め皇室の藩屏を厚くすること。
⑤ 皇室財産を潤沢にしていくこと。
⑥ 皇位継承学・宮中祭祀・有職故実など天皇・皇室に関する学問を再興すること。
また私たち臣民(国民)の側もこれからの皇室の危機や国難に対して相当な覚悟が迫られると思われます。私たちは、祭祀の再興や皇室の弥栄を永続させるためにも、「家」や「地域」の祭祀を篤く実践していく必要があるのではないでしょうか。
(注1)南出喜久治「典範奉還」(ときみつる會『心のかけはし』平成29年9‐10月号)参照。
(注2)拙稿「『退位特例法』の無効廃止と帝國憲法・正統皇室典範の復元を」(黎明教育者連盟ホームベージ『ブログ・講師たちのつぶやき』2017年11月13日)参照。
(注3)「退位特例法」の問題点については、中川八洋『徳仁《新天皇》陛下は、最後の天皇』第一章「秋篠宮殿下を『皇太弟』としない特例法は、何を狙う」(p20〜64)、拙稿「『退位特例法』の無効廃止と帝國憲法・正統皇室典範の復元を」(黎明教育者連盟ホームページ『ブログ・講師たちのつぶやき』2017年11月13日)参照。
「天皇の強制退位」に関して退位特例法第一条は国会が「象徴として公的ご活動に精励しなければ、天皇を強制的に退位できる」との解釈が可能になること。「皇嗣の不就位」については、「退位特例法」では、皇太子の御位が空位になっており、秋篠宮殿下は皇太子・皇太孫以外の皇嗣殿下ですので、占領皇室典範第一一条第二項によって、「皇室会議の議」によって「皇族の身分」を離れさせる可能性があること。「女性宮家」については付帯決議に明記されており、菅官房長官は「法案の作成に到るプロセスや、その中で整理された基本的な考え方は、将来の先例になりうる」としており、「皇室典範改定」議論がこの先出て皇位継承で問題が起こりうることが予測されます。
(注4)産経新聞「陛下 光格天皇の事例ご研究 宮内庁に調査依頼 6年半前」(2017年1月24日付)
(注5)日本経済新聞「退位・即位 儀式は10分 憲法抵触に細心の配慮」」(2019/1/18 2:06日本経済新聞 電子版)
(注6)斎藤吉久のブログ「賢所の儀は何時に行われるのか?──いつまでも決まらない最重要儀礼」(2019年1月20日記事)
【参考文献】
・倉山満「国民が知らない上皇の歴史」(祥伝社新書)
・宗教ジャーナリスト・斎藤吉久のブログ(So-netブログ)
・柴田 顕弘「『退位特例法』の無効廃止と帝國憲法・正統皇室典範の復元を」(黎明教育者連盟ホームページ『ブログ・講師たちのつぶやき』2017年11月13日http://reimeikyoren.blog.fc2.com/blog-entry-130.html)
・中川八洋ゼミ講義「譲位禁止『4・30』強行の安倍晋三 」
(http://nakagawayatsuhiro.com/?cat=2)
・中川八洋「徳仁《新天皇》陛下は、最後の天皇 悠仁親王殿下の践祚・即位は、国民世襲の義務」(ヒカルランド)「悠仁天皇と皇室典範」(清流出版)
・藤田覚「光格天皇 自身を後にし天下万民を先とし」(ミネルヴァ書房)
・藤田覚「幕末の天皇」(講談社学術文庫)
・「平成の退位 五大疑問」(「オノコロこころ定めてyahooブログhttps://blogs.yahoo.co.jp/umayado17/66216419.html」)
・南出喜久治「典範奉還」(ときみつる會『心のかけはし』平成29年9-10月号)
・吉重丈夫「歴代天皇で読む 日本の正史」(錦正社)
・「縮刷版 みことのり」(錦正社)
・「第2回 天皇陛下の御退位及び皇太子殿下の御即位に伴う式典準備委員会 配布資料」(首相官邸ホームページ)https://www.kantei.go.jp/jp/singi/taii_junbi/dai2/gijisidai.html
・「天皇陛下の御退位及び皇太子殿下の御即位に伴う式典委員会」(首相官邸ホームページ)http://www.kantei.go.jp/jp/singi/gishikitou_iinkai/index.html
・産経新聞「陛下 光格天皇の事例ご研究 宮内庁に調査依頼 6年半前」(2017年1月24日付)https://www.sankei.com/life/news/170124/lif1701240001-n1.html
・日本経済新聞「退位・即位 儀式は10分 憲法抵触に細心の配慮」」(2019/1/18 2:06日本経済新聞 電子版)
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO40134620X10C19A1EA1000/
・国立公文書館デジタルアーカイブ「桜町殿行幸図」
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/pickup/view/category/categoryArchives/0200000000/0201050000/00?fbclid=IwAR2MCrgoi1UFi7KfxG91D-EHXeCJwyF3vBLo1gXcKGLB_5lP0DXIY2Ln6bo
柴田
一、始めに
今回の今上陛下から皇太子徳(なる)仁(ひと)親王殿下への御譲位(ごじょうい)としての皇位継承は、閑院宮(かんいんのみや)の光(こう)格(かく)天皇(てんのう)から仁(にん)孝(こう)天皇(てんのう)への御譲位(ごじょうい)以来凡(およ)そ二百年ぶりの御(ご)慶事(けいじ)になります。日本国憲法(占領憲法)・現行(げんこう)皇室(こうしつ)典範(てんぱん)(占領(せんりょう)皇室(こうしつ)典範(てんぱん))並びに明治(めいじ)皇室(こうしつ)典範(てんぱん)(正統(せいとう)皇室(こうしつ)典範(てんぱん))では、『譲位』規定がないので、今回は現行皇室典範に補足する形で『天皇の退位等に関する皇室(こうしつ)典範(てんぱん)特例法(とくれいほう)(成立:平成二十九年六月九日、公布:平成二十九年六月十六日 以下『退位特例法』)』が国会で制定されました。そして政府内の「天皇陛下の御退位及び皇太子殿下の御即位に伴う式典(しきてん)委員会(いいんかい)(以下『式典(しきてん)委員会(いいんかい)』)」によって御代替(みよが)わり儀式(ぎしき)の準備が執り行われています。
そして式典委員会が発表している『天皇陛下御退位に伴う式典の考え方』のなかにある「憲法(けんぽう)の趣旨(しゅし)に沿(そ)い、かつ、皇室(こうしつ)の伝統(でんとう)等(とう)を尊重(そんちょう)したものとする」と基本方針の下で、四月三十日に「退位(たいい)礼(れい)正殿(せいでん)の儀(ぎ)」、五月一日に「剣璽(けんじ)等(とう)承継(しょうけい)の儀(ぎ)・即位(そくい)後朝(ごちょう)見(けん)の儀(ぎ)」、十月二十二日に「即位(そくい)礼(れい)正殿(せいでん)の儀(ぎ)」、十一月十四日・十五日には「大嘗祭(だいじょうさい)」と御代替わりの重要な諸儀式が斎行される予定となっています。
さて一世(いっせい)一代(いちだい)の喜ばしい御代替わりの儀式において、現在政府が計画(けいかく)立案(りつあん)して遂行している一連の儀式が果たして皇室伝統に則した歴史ある立憲(りっけん)君(くん)主(しゅ)国(こく)・天(てん)皇国(のうこく)日本(にほん)の儀礼として相応(ふさわ)しいものなのでしょうか。実は現行法制下においては、皇室伝統が破壊され、本来の皇位継承の在り方に齟齬(そご)が生じているのではないかという問題提起と、本来の皇位継承・御代替わりの儀式の再興を願いつつ論じてみたいと思います。
二、次善の策〜「退位特例法」から「『譲位』特例法」への改正を〜
天皇陛下・皇后陛下は今回の御代替わりにあたっては一貫して『譲位』という皇室伝統に基づいた正しい言葉を使われているにも関わらず、政府・国会、並びにマスコミは日本国憲法の解釈から「生前退位」「退位」いう言葉を用いています。
留意しておきたいのは、憲法学者の宮澤(みやざわ)俊(とし)義(よし)氏の影響を受けた戦後憲法学は「退位」という言葉を「天皇制廃止」から「共和制」への移行のために意図的に用いているという事です。宮澤憲法学の下(もと)に「国民主権」や「政教分離」の概念を駆使しながら、現在の内閣法制局や宮内庁などが御代替わりの儀式を、憲法解釈をして「退位」「即位」の分離や諸儀式を「天皇の国事行為・皇室の公的行事・皇室の私的行事」と区分けして遂行しようとしています。
今回の天皇陛下の御意思による「譲位」或いは「退位」に関しても、憲法解釈として内閣法制局は、「国事行為には当たらないが、国政に関する機能の行使には当たるのではないか」という主旨の見解を述べて「憲法違反」の疑義があるとしています。もっとも「譲位」は「国事行為に含まれていないので、国政に関しない機能」とも解釈できそうなものです。ところが天皇陛下が皇太子殿下に皇位を御譲りになるのが「国政に関する機能の行使に当たる」と理解しているので、天皇陛下の御意思がより強く含まれる「譲位」ではなく「退位」という言葉を使い、天皇陛下の御意思を排する形で憲法第四条違反にならないように、あくまで政府・国会主導で「退位特例法」を制定して天皇を「退位」させ、時間的連続性のある『譲位・受禅の儀』という皇室伝統に則した皇位継承の在り方を否定して、「退位礼正殿の儀(退位礼)」「剣璽等承継の儀(即位礼)」を分離して挙行を企てているという訳です。
しかし占領(せんりょう)典(てん)憲(けん)を前提にするにしても、南出喜久治氏が指摘なさるように、占領典範第四条「天皇が崩じたときは、皇嗣が、直ちに即位する」を限定的に「天皇の御叡意による譲位は、この限りではない」として、「譲位の場合は皇統連綿における時間的間隙がありませんので、今上の叡意によって自由になさればよい」(注1)と解釈して『譲位・受禅の儀』による御代替わりの儀式を斎行しても良かったのではないでしょうか。
本来ならば、皇室の自治と自律を奪う「占領典憲並びに退位特例法」は無効であって、正統(せいとう)典(てん)憲(けん)を復元して皇室典範を御皇室に奉還して「皇室会議」でなく天皇陛下が中心となった『皇族会議』で皇位継承をお決め頂くのが正道です(注2)。
しかし、仮に今はそれが難しいのなら、そもそも法解釈は、その国の歴史・慣習・伝統文化を踏まえて為すべきであって、現行法制下であっても、占領憲法第二条の『世襲』の概念を踏襲すれば、わが国の皇位継承は皇室伝統の上では時間的連続性のある「崩御(ほうぎょ)・践祚(せんそ)(諒闇(りょうあん)
践祚(せんそ))」「譲位(じょうい)・受禅(じゅぜん)(受禅(じゅぜん))」しかあり得ません。
現行皇室典範には、皇位継承に連続性を持たせる『践祚(せんそ)』の概念はないですが、昭和六十四年一月七日の昭和天皇崩御の際には、皇太子殿下(現在の今上陛下)が『同日』に「直ちに即位」され、実質上は『崩御・(諒闇)践祚』の皇位継承がなされました。であるならば、同じ日本国憲法(占領憲法)体制下の今回の御代替わりの儀式においても時間的間隙をつくらない形での『譲位・受禅践祚』の儀式を斎行しても問題ないはずです。
更に「退位特例法」第二条「天皇は、この法律の施行の日限り、退位し、皇嗣が、直ちに即位するものとする」とあるので、四月三十日「退位礼正殿の儀(退位礼)」・五月一日「剣璽等承継の儀(即位礼)」の分離挙行は「退位特例法」にさえも違反していることにもなります。
この四月三十日「退位礼」、五月一日「即位礼」の分離は、平成二九年一二月一日の皇室会議で決められたとされていますが、「皇室会議」とは名ばかりで「皇室」を監視弾圧する機関と化しています。一刻も早く天皇陛下中心の『皇族会議』を回復しなければ皇室の式微(しきび)は留まることを知らないと思います。
この様に今回の「退位式」「即位式」の分離は皇室伝統からも日本国憲法からも現行皇室典範ならびに「退位特例法」にさえも違反している状態なのです。このような皇室伝統という『法の支配』に対する〝不法〟や現行法制の『法治主義』に対しても〝違法〟となる状態で、一世一代の御代替わりの儀式を汚して果たして良いものでしょうか。
また今回、皇位継承に空白を生じさせる事例を作ることで、次の御代替わりの際に皇位継承で新たな揉め事が起った際に、皇位に長い「空白」が生まれ最悪の場合には「皇統断絶」
「天皇制廃止」へと向かわないかと危惧されます。なぜなら今回の「退位特例法」は「天皇の強制退位」「皇嗣の不就位」の法解釈の余地や、女性天皇・女系天皇への道を開く「女性宮家」を規定する皇室典範改定への道を開きかねない内容を持っているからです(注3)。
今回の皇位継承の在り方を考えれば、政府・国会は、今上陛下が宮内庁にお示しになられたように(注4)、光格天皇の御事例を踏まえた「譲位・受禅の儀式」を考えていくべきであり、その為には、次善の策として「退位特例法」を廃止して、皇室伝統を最大限に重んじた「皇室典範増補(『譲位』特例法)」に改正して天皇陛下に奉呈すべきだったと思います。
三 譲位・受禅の儀
今から凡そ二百年前に御譲位をなさった光格天皇は、朝議の再興・復古にご尽力あそばされた天皇でした。とりわけ大嘗会・新嘗祭の復古、禁裏(きんり)御所の復古的造営、伊勢公(く)卿(ぎょう)勅使の復古、石清水八幡宮・賀茂社の臨時祭の再興、さらに光(こう)孝(こう)天皇(てんのう)以来になる天皇号・諡号(しごう)の再興などが挙げられます。その際には先例の儀式を学ぶために有職(ゆうそく)故実(こじつ)の学問も盛んになりました。
光(こう)格(かく)天皇(てんのう)から皇太子恵(あや)仁(ひと)親王殿下(仁(にん)孝(こう)天皇(てんのう))への「譲位・受禅の儀」も平安時代の先例に学びつつ荘厳かつ盛大に斎行されました。
皇室伝統に沿った『譲位・受禅の儀』の内容は概ね以下の四点になります。
1 宣命(せんみょう)の儀
内裏(だいり)の紫宸(ししん)殿(でん)にて、天皇と皇太子が相向かわれ、皇太子に向かい宣命大夫(公家)が譲位の宣命文を読み終わると同時に、皇太子が新帝になられる。(今回の御代替わりの儀式には「宣命の儀」がありません。)
2 剣璽(けんじ)渡御(とぎょ)の儀(剣璽等承継の儀)
新帝、前帝(上皇)・皇太后(上皇后)の同列にお座りなられ、新帝の御前に剣と璽、国璽と御璽が渡御される。その後剣と璽は御所の「剣璽の間」に遷幸される。
3 御笏(おんしゃく)・御袍(ごほう)捧持(ほうじ)の儀
内侍二名が御笏(象牙製の牙笏(げしゃく))と御袍(ごほう)(黄櫨(こうろ)染御袍(ぜんのごほう))を捧持して儀場に入り、前帝の前の案(机)に並べる。前帝の了解を得て、新帝の傍に御笏・御袍の乗る案が捧持される。新帝が拝礼され、前帝が目礼で応答。新帝が儀上から出御される。
4 祝賀(しゅくが)御列(おんれつ)(パレード)の儀
平安時代からの『譲位・受禅の儀』はすべて内裏・紫宸殿(ししんでん)で行われています。
光格天皇から皇太子恵(あや)仁(ひと)親王殿下(仁孝天皇)への『譲位・受禅の儀』は例外で、文化十四年(西暦一八一七年)三月二十二日の一日で行われ、午前八時から仙洞(せんとう)御所(ごしょ)への光格天皇の行幸パレードで始まり、午前中に仙洞御所にて譲位の儀(節会(せちえ))、午後清涼(せいりょう)殿(でん)で受禅の儀(宣命)・紫宸殿で剣璽渡御の儀が行われ、夜に饗宴(きょうえん)の儀が清涼殿で行われたようです。
宮内庁の作成資料『歴史上の実例』では、いくつかの史料誤読、或いは史料改竄がなされています。
例えば『光格天皇実録』の紹介で、「光格天皇の譲位の際の例」とタイトルが銘打っていますが、正しくは「光格天皇・皇太子の譲位と受禅の例」、式場も「桜町(さくらまち)殿(でん)(仙洞御所)」のみ記載され、正しくは「儀場 桜町殿、清涼殿及び紫宸殿」とすべきです。
また光格天皇の『御譲位パレード』を、「築地の内の公家や所司代の関係者からお見送りを受けたもので,公衆に披露する御列(パレード)ではない。」としており、国立公文書館デジタルアーカイブに所蔵されている『桜町(さくらまち)殿(でん)行幸図(ぎょうこうず)』を見れば、その嘘が一目瞭然でわかります。
今上陛下が御譲位をご決意なさるにあたり、光格天皇のご事例を調べるよう宮内庁に御下問があったのであれば、宮内庁は歴史事実を枉げずに上奏するとともに、内閣総理大臣始め国務大臣・国会議員は、光格天皇の先例に則して『譲位・受禅の儀』を斎行しようと尽力するのが『臣下』の務めだと思います。とりわけ宮中に於ける儀式を管轄する宮内庁にあって、「歴史史料」が「公文書」としての特質を持つものであるとすれば、歴史史料を捻じ曲げてまで「退位礼」を挙行しようとするのは「公文書偽造の罪」にはならないのでしょうか。
四、「退位(たいい)礼(れい)正殿(せいでん)の儀(ぎ)」「剣璽(けんじ)等(とう)承継(しょうけい)の儀(ぎ)」
政府による、第3回 「天皇陛下の御退位及び皇太子殿下の御即位に伴う式典委員会」に提出された資料によると、「退位礼正殿の儀」は4月30日午後5時から5時10分までの凡そ10分間、また「剣璽等承継の儀」は、5月1日午前10時30分に始まり、おおむね午前10時40分までの約10分で終わる予定になっています。
日本経済新聞の報道(平成三一年一月一八日)によると「政府は一連の儀式が憲法に抵触しないよう配慮した。憲法1条は天皇の地位は国民の総意に基づくと定め、4条は天皇の国政関与を禁じる。天皇が自らの意思で皇位を譲ると表明すれば、憲法に抵触しかねない。このため退位の儀式では陛下自ら天皇の地位を退く趣旨を述べない。首相が陛下の「お言葉」に先立って退位を宣言し、陛下への謝意を示す。歴代天皇に伝わる三種の神器のうち剣と璽(じ=まがたま)、公務で使う天皇の印の御璽(ぎょじ)なども陛下が出席する退位の儀式では引き継がない。用意された机の上に飾るにとどめる。皇太子さまに神器などを目に見える形で引き渡すと、自ら皇位を譲る意思を示したと受け取られる可能性があるからだ」と伝えています(注5)。
この報道の通りだとすると、『皇室伝統』に則った『儀式』による皇位継承でなく、占領典憲・「退位特例法」などの『現行法制』の曲解に基づく継承です。天皇陛下の御叡慮である『譲位』が完全に否定され、首相による「退位宣言」となり、天皇の「退位」を政府・国会が恣意的に決定する事例となってしまいます。
また「退位礼正殿の儀」のあとの「剣璽」の所在は何処になるのでしょうか。斎藤(さいとう)吉(よし)久(ひさ)氏が指摘するように、「陛下とともに御所に戻るのか、それとも東宮に遷るのか、それともいったん賢所に遷るのか。いずれにしても、剣璽は皇位とともにあるという皇室の伝統にそぐわない状況が約17時間、発生する」ことにならないでしょうか(注6)。
そして今回の「剣璽等承継の儀」に於いて皇太子殿下に剣璽を渡す主体は何処になるのか。杞憂かもしれませんが、もし政府という事になれば、一時的にも天皇から時の政府に剣璽が簒奪(さんだつ)されたことにならないでしょうか。
今上陛下から皇太子殿下に剣璽等が直接承継されないとすれば、「受禅」も成り立たず、一時的な「皇統断絶」あった、あるいは神武天皇から続いた125代の皇室伝統が途絶え日本国憲法に基づく新たな皇朝(王朝)が始まると受けとられかねない憲法解釈が成りたつ可能性が出てくることを危惧します。このままいけば、まさに皇室伝統に基づく『世襲』原理から『国民主権』に基づいた『国民の総意』による皇位継承へと力点が移行したことを示す事例になってしまいかねません。
本来の皇位継承は臣民(国民)の干渉を断じて許してはならないのです。
五、まとめ
今回の一連の御代替わりの儀式には、他にも政府による天皇の改元大権の剥奪・経費削減に伴う大嘗宮の簡素化など数多くの疑問・問題点や課題が見られ、今後の皇位継承に禍根を残すのではないかと危惧されます。
今後の皇室の在り方は、早急に皇室の自治と自律の回復の為の施策をなすことが必要だと思います。具体的には少なくとも以下の事に着手していくべきです。
① 占領憲法無効宣言を為すとともに、大日本帝国憲法現存確認宣言をすること。
② 正統皇室典範を復元して御皇室に奉還すること。
③ 復元された正統皇室典範を中心とする宮務法体系と復元された大日本帝國憲法を中心とした国務法体系の二元体制の整備をすること。
④ 皇位継承の安定化のために旧宮家の皇籍復帰を為し、堂上公家の復活を含め皇室の藩屏を厚くすること。
⑤ 皇室財産を潤沢にしていくこと。
⑥ 皇位継承学・宮中祭祀・有職故実など天皇・皇室に関する学問を再興すること。
また私たち臣民(国民)の側もこれからの皇室の危機や国難に対して相当な覚悟が迫られると思われます。私たちは、祭祀の再興や皇室の弥栄を永続させるためにも、「家」や「地域」の祭祀を篤く実践していく必要があるのではないでしょうか。
(注1)南出喜久治「典範奉還」(ときみつる會『心のかけはし』平成29年9‐10月号)参照。
(注2)拙稿「『退位特例法』の無効廃止と帝國憲法・正統皇室典範の復元を」(黎明教育者連盟ホームベージ『ブログ・講師たちのつぶやき』2017年11月13日)参照。
(注3)「退位特例法」の問題点については、中川八洋『徳仁《新天皇》陛下は、最後の天皇』第一章「秋篠宮殿下を『皇太弟』としない特例法は、何を狙う」(p20〜64)、拙稿「『退位特例法』の無効廃止と帝國憲法・正統皇室典範の復元を」(黎明教育者連盟ホームページ『ブログ・講師たちのつぶやき』2017年11月13日)参照。
「天皇の強制退位」に関して退位特例法第一条は国会が「象徴として公的ご活動に精励しなければ、天皇を強制的に退位できる」との解釈が可能になること。「皇嗣の不就位」については、「退位特例法」では、皇太子の御位が空位になっており、秋篠宮殿下は皇太子・皇太孫以外の皇嗣殿下ですので、占領皇室典範第一一条第二項によって、「皇室会議の議」によって「皇族の身分」を離れさせる可能性があること。「女性宮家」については付帯決議に明記されており、菅官房長官は「法案の作成に到るプロセスや、その中で整理された基本的な考え方は、将来の先例になりうる」としており、「皇室典範改定」議論がこの先出て皇位継承で問題が起こりうることが予測されます。
(注4)産経新聞「陛下 光格天皇の事例ご研究 宮内庁に調査依頼 6年半前」(2017年1月24日付)
(注5)日本経済新聞「退位・即位 儀式は10分 憲法抵触に細心の配慮」」(2019/1/18 2:06日本経済新聞 電子版)
(注6)斎藤吉久のブログ「賢所の儀は何時に行われるのか?──いつまでも決まらない最重要儀礼」(2019年1月20日記事)
【参考文献】
・倉山満「国民が知らない上皇の歴史」(祥伝社新書)
・宗教ジャーナリスト・斎藤吉久のブログ(So-netブログ)
・柴田 顕弘「『退位特例法』の無効廃止と帝國憲法・正統皇室典範の復元を」(黎明教育者連盟ホームページ『ブログ・講師たちのつぶやき』2017年11月13日http://reimeikyoren.blog.fc2.com/blog-entry-130.html)
・中川八洋ゼミ講義「譲位禁止『4・30』強行の安倍晋三 」
(http://nakagawayatsuhiro.com/?cat=2)
・中川八洋「徳仁《新天皇》陛下は、最後の天皇 悠仁親王殿下の践祚・即位は、国民世襲の義務」(ヒカルランド)「悠仁天皇と皇室典範」(清流出版)
・藤田覚「光格天皇 自身を後にし天下万民を先とし」(ミネルヴァ書房)
・藤田覚「幕末の天皇」(講談社学術文庫)
・「平成の退位 五大疑問」(「オノコロこころ定めてyahooブログhttps://blogs.yahoo.co.jp/umayado17/66216419.html」)
・南出喜久治「典範奉還」(ときみつる會『心のかけはし』平成29年9-10月号)
・吉重丈夫「歴代天皇で読む 日本の正史」(錦正社)
・「縮刷版 みことのり」(錦正社)
・「第2回 天皇陛下の御退位及び皇太子殿下の御即位に伴う式典準備委員会 配布資料」(首相官邸ホームページ)https://www.kantei.go.jp/jp/singi/taii_junbi/dai2/gijisidai.html
・「天皇陛下の御退位及び皇太子殿下の御即位に伴う式典委員会」(首相官邸ホームページ)http://www.kantei.go.jp/jp/singi/gishikitou_iinkai/index.html
・産経新聞「陛下 光格天皇の事例ご研究 宮内庁に調査依頼 6年半前」(2017年1月24日付)https://www.sankei.com/life/news/170124/lif1701240001-n1.html
・日本経済新聞「退位・即位 儀式は10分 憲法抵触に細心の配慮」」(2019/1/18 2:06日本経済新聞 電子版)
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO40134620X10C19A1EA1000/
・国立公文書館デジタルアーカイブ「桜町殿行幸図」
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/pickup/view/category/categoryArchives/0200000000/0201050000/00?fbclid=IwAR2MCrgoi1UFi7KfxG91D-EHXeCJwyF3vBLo1gXcKGLB_5lP0DXIY2Ln6bo
柴田
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