2014-02-18
祈念祭
二月十七日は祈年祭(きねんさい・としごいのまつり)です。祈年祭とは、年を祈る祭りです。年とは、五穀とくに稲のことを指します。春の農作業の始めにあたり、各地の神社で神々に五穀豊穣と皇室弥栄・国家安泰の祈りを捧げます。
もともと祈年祭は庶民が行う田の神への予祝儀礼でした。予祝とは、あらかじめ期待する結果を表現すると、その通りになるという民間信仰のことです(因みにイメージは創造力の源でもあります)。作物の豊作を予め祈ったのです。
律令体制が整備されると、平安時代にまとめられた『延喜式神名帳』記載の全ての神社(三千百三十二座)が祈願の対象となり、祈念祭は毎年二月四日と定められました。当時は農事の開始にあたり、中央地方全国の神々に幣帛(へいはく 神に奉献する布などの供物)を捧げる国の行事でした。鎌倉時代になると、伊勢神宮関係の祭祀となります。明治時代になり、神祇官が再興されると、祈年祭は全国の神社で国家祭祀「大祭」として位置づけられ、宮中でも皇祖皇宗の御霊を祀る皇霊殿では二月四日、天照大御神を祀る賢所と八百万の神々を祀る神殿では二月十七日に行われました。大正三年(一九一四年)に、宮中三殿で二月十七日に行われるように統一されました。
大東亜戦争後は、「国家神道」が解体され、国家的祭祀の性格が薄れ、皇室では「小祭」として、各地の神社でも通常の祭祀として行われています。
天皇陛下は、「神穀奉斎の神勅」(注)のままに、天照大御神からの賜り物である稲をお田植なされ、収穫なされた稲を天照大御神まします伊勢神宮の神嘗祭(十月十七日)に奉納し、宮中で新嘗祭(十一月二十三日)を御自らなされます。伊勢神宮の祈年祭には勅使を派遣されるととともに、皇居では天皇陛下が宮中三殿で御親拝になされ、そのあと皇太子殿下が御拝礼になられ、年穀の豊作をお祈りあそばされます。祈年祭は、神嘗祭と新嘗祭と関連した稲作・農耕文化を中心とした豊葦原瑞穂国(日本)の御祭りなのです。
今はまだ寒いですが、植物が活き活きと生長する春。大自然からの賜物である『食べ物』と天地の豊かな恵みに改めて感謝を捧げてみてはいかがでしょうか。
(注)「斎庭の稲穂の神勅」ともいう。「天壌無窮の神勅」・「神鏡奉斎の神勅」とともに三大神勅の一つ。
「吾が高天原に御(きこしめす)す斎庭(ゆにわ)の穂(いなほ)を以て、亦当に吾が児に御(まか)せまつるべし」(日本書紀)
日本神話では、天照大御神が、お子様の天忍穂耳尊(あめのおしほみみのみこと)を日本の君主として地上に遣わそうとしたときに「高天原の神聖な稲穂をわが子に授けよう」とのべられました。その後御孫の邇邇藝命(ににぎのみこと)がお生まれになられ、邇邇藝命が斎庭の稲穂と三種の神器を授かり『天孫降臨』をなされます。
柴田
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