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2014-02-20

国旗国歌を敬う心を育てたい



 ソチ五輪のフィギュアスケート男子で、羽生弓弦選手が 見事に金メダルを獲
得されました。
 その羽生選手が,メダル授与式の壇上で、日本の国旗掲揚と共に流れた国歌
「君が代」を満面の笑顔で大きくはっきり歌っている顔が,アップで映し出され
た時、さらにもう一つの感動を受けました。
 そうです、日本人なのだから,国旗を敬い 国歌を愛する心が当たり前なので
す。
 応援する人も、国旗を振って応援します。
 好成績の選手達は、その場で 大きな国旗を広げて,喜びを大きくアピールし
ています。
 国旗、国歌は 国そのものを表すものですから,選手達の力の源にもなってい
ると,思います。
 だからこそ、プレッシャーにも感じられるのでしょうが、それは、どこの国の
選手もおなじだと思います。
 この、五輪で盛り上がっている今こそ、国歌を歌う指導をして欲しいと切に望
みます。
 国旗を敬い,国歌を歌えて はじめて日本人だと思いなすが,皆さんは どう
思われますか?
 
 加納孝子
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2014-02-18

祈念祭


二月十七日は祈年祭(きねんさい・としごいのまつり)です。祈年祭とは、年を祈る祭りです。年とは、五穀とくに稲のことを指します。春の農作業の始めにあたり、各地の神社で神々に五穀豊穣と皇室弥栄・国家安泰の祈りを捧げます。
もともと祈年祭は庶民が行う田の神への予祝儀礼でした。予祝とは、あらかじめ期待する結果を表現すると、その通りになるという民間信仰のことです(因みにイメージは創造力の源でもあります)。作物の豊作を予め祈ったのです。
律令体制が整備されると、平安時代にまとめられた『延喜式神名帳』記載の全ての神社(三千百三十二座)が祈願の対象となり、祈念祭は毎年二月四日と定められました。当時は農事の開始にあたり、中央地方全国の神々に幣帛(へいはく 神に奉献する布などの供物)を捧げる国の行事でした。鎌倉時代になると、伊勢神宮関係の祭祀となります。明治時代になり、神祇官が再興されると、祈年祭は全国の神社で国家祭祀「大祭」として位置づけられ、宮中でも皇祖皇宗の御霊を祀る皇霊殿では二月四日、天照大御神を祀る賢所と八百万の神々を祀る神殿では二月十七日に行われました。大正三年(一九一四年)に、宮中三殿で二月十七日に行われるように統一されました。
大東亜戦争後は、「国家神道」が解体され、国家的祭祀の性格が薄れ、皇室では「小祭」として、各地の神社でも通常の祭祀として行われています。
天皇陛下は、「神穀奉斎の神勅」(注)のままに、天照大御神からの賜り物である稲をお田植なされ、収穫なされた稲を天照大御神まします伊勢神宮の神嘗祭(十月十七日)に奉納し、宮中で新嘗祭(十一月二十三日)を御自らなされます。伊勢神宮の祈年祭には勅使を派遣されるととともに、皇居では天皇陛下が宮中三殿で御親拝になされ、そのあと皇太子殿下が御拝礼になられ、年穀の豊作をお祈りあそばされます。祈年祭は、神嘗祭と新嘗祭と関連した稲作・農耕文化を中心とした豊葦原瑞穂国(日本)の御祭りなのです。
今はまだ寒いですが、植物が活き活きと生長する春。大自然からの賜物である『食べ物』と天地の豊かな恵みに改めて感謝を捧げてみてはいかがでしょうか。
 
(注)「斎庭の稲穂の神勅」ともいう。「天壌無窮の神勅」・「神鏡奉斎の神勅」とともに三大神勅の一つ。
「吾が高天原に御(きこしめす)す斎庭(ゆにわ)の穂(いなほ)を以て、亦当に吾が児に御(まか)せまつるべし」(日本書紀)
 日本神話では、天照大御神が、お子様の天忍穂耳尊(あめのおしほみみのみこと)を日本の君主として地上に遣わそうとしたときに「高天原の神聖な稲穂をわが子に授けよう」とのべられました。その後御孫の邇邇藝命(ににぎのみこと)がお生まれになられ、邇邇藝命が斎庭の稲穂と三種の神器を授かり『天孫降臨』をなされます。

柴田
2014-02-16

羽生選手、金メダル!

羽生選手、金メダル!

大変すばらしいですね。
しかし、生中継したNHKは、中継だったので、流れましたが、その後NHKも民放も
羽生選手の国歌斉唱のシーンはいっさい放映しません。。。
これは恣意的であると私は思いますね。

しかしながら、日本男児だ!おめでとう!  實吉

2014-02-10

 『尚武重忠』の心


 先の東京都知事選は不本意な結果に終わりましたが、建国記念の日(紀元節)を迎えるにあたり、危機の時代を乗り越えるためにも、神武天皇の大御心でもある「尚武」・「忠義」の大切さについて、今一度確認しておきたいと思います。
越前福井藩出身の偉大な先哲である橋本景岳(左内)先生は、安政三年(一八五六年)藩政抜擢採用にあたり、中根雪江宛ての手紙に以下の様に書き記しています。

「元来、我が国は外国と違って、革命という乱れた習わし、悪い風俗がないのでありますから、現在に至っても、直ちに神武天皇がこの国をお始めになられた際、子孫将来のために定められ、お遺しになられたところのものを、謹んで守られ維持されて、一向に差し支えのないことと存じます。但し、右に申しました通り、時代の移り変りというものがあり
ますから、神武天皇の御心に則るということが重要なのであって、実際に作成する制度については、いささかなりとも、時勢の変化に合わせた変更や補正がなくてはなりません。しからば、神武天皇が子孫将来のために定められ遺されたものとは何かといいますと、それは、人は忠義を重んじねばならない、士は武道を尚ばねばならないという二ヵ条に尽きるのでありまして、これこそ日本の国是でございます。
 この二ヵ条は、正に日本の日本たる所以であり、シナの派手で軽々しく大げさなところ、西洋のかたくなではかどらず、物事に暗く鈍いところと比較すれば、全く雲泥の差がございます。神武天皇が遺されたものは、この『尚武重忠(しょうぶじゅうちゅう)』の四文字に限るといって間違いありません。第一に武道を重んじ給うたことは、御諡号を神武天皇と尊称し奉ることからも、明らかでございます。(中略)我が国では御歴代『草薙の御剣』を御相伝されております。この点からも、その尚武の思召が、ますます明らかに理解できるのであります。
 上の御制度が、尚武を旨とするものであれば、自然下々には、忠を重んじる気風が興起するはずであります。我が国の歴史をひもとき、栄枯盛衰の跡をたどってみますと、その変遷はすべて各時代の武の道の盛衰と深く関係しております。(中略)この尚武の気風を
国是の根本とし、これを忠義と実直の精神で守り伝えてゆけば、風俗はますます情味篤く質朴なものとなり、武士道もますます盛んに興り、我が国の勢いは世界にぬきんでたものになること、遠くはございません。
」(橋本左内『啓発録』 安政三年 四月二十六日中根雪江宛て手紙 現代語訳)

 また久留米藩水天宮の神主で、禁門の変で戦い、天王山で自決した真木和泉守は、楠木正成公を尊び、毎年五月二十五日には必ず正成公を御祭りし、その忠節を慕っていました。真木和泉守が抱いていた日本中興の計画は、自決前に建白せられ宮中に達していました。
その内容の趣旨は、以下の通りです。

1. 神武天皇創業の御精神にかえること。
2. 旧弊を破ること。
3. 公候伯子男の五等の爵位を設けること。
4. 忠孝の人々を神に祭り、あるいは官位を贈られること。
5. 親兵を置かれること。
6. 土地人民の権を収めること。
7. 遷都あるべきこと。
8. 租税を軽くすること。

明治天皇は真木和泉守の献策を御採用になられ、これらをもとに維新が行われます。慶応三年(一八六七年)に、明治天皇は「王政復古の大号令」を発せられ、「諸事神武創業之始二原キ」、政治の御一新を図られます。また明治元年(一八六八年)には、「旧来の陋習を破り、天地の公道に基づく『五箇条の御誓文』」を出されました。南朝の忠臣楠木正成公を祀る湊川神社、護国の英霊を祀る靖国神社、神武天皇を祀る橿原神宮の御創建も明治天皇によるものです。
勤皇の志士や明治天皇の間には、神武天皇の大御心が息づいており、肇国の理想に立ち還ることで、明治維新は成し遂げられました。今日生きるわれわれもわが国の神話と国史の歩みに学び、「尚武重忠」の心を大切にして、より良い国創りを目指していきたいものです。

柴田




 
2014-02-10

ここにこんな先生が!!

地方新聞アイデンテイテイの「『里の秋』幻の4番、子供たちの胸に響いた」の見出しの記事を読んで感動した。
埼玉の小学校教師の星野薫教諭(25歳)は小学校4年生の国語の教科書「一つの花」という戦争の話を授業でして、感想を書かせたら「なぜ昔の人は戦争なんてしたの?」「戦争は嫌だ」「昔の人はかわいそう」「今は絶対に起きてほしくない」という戦争を他人事のように表現する感想ばかりだった。星野教諭は子供たちの中には「戦争は恐いもの」としてしか残らないだろう。もちろん戦争なんかやらない方がいいに決まっている。だけど、命を懸けて戦ってくれた人がいる。そのお蔭で今の平和な日本があることを知って欲しい。もし、知らないまま大人になったら平和が当たり前で、自分さえよければそれでいい、そんな大人になってしまうのではないかと。そんな大人が国を護れるはずがない。何とかしてこのことを伝えなくては。と考えていた。そんなとき戦後GHQの占領政策で消された歌があることを知り、調べているうちに「里の秋」に出会った。この歌は三番が変えられ、四番が消されていた。この四番に「なぜ昔の人は戦争なんてしたの?」の問いに答えが見つかったと思った。そして、当時の先生や子供たちの思いを六八年間の時を超えて、真心こめて、昔のままの里の秋を子どもたちの前で歌われた。

1   静かな静かな 里の秋
    お背戸(せど)に木の実の 落ちる夜は
    ああ母さんと ただ二人
    栗の実煮てます いろりばた

2   明るい明るい 星の空
    鳴き鳴き夜鴨(よがも)の 渡る夜は
    ああ父さんの あの笑顔
    栗の実食べては 思い出す

3   さよならさよなら 椰子(やし)の島
    お舟にゆられて 帰られる
    ああ父さんよ 御無事でと
    今夜も母さんと 祈ります

3番 きれいなきれいな 椰子の島 
   しっかり護って 下さいと 
   ああ父さんの ご武運を 
   今夜も一人で 祈ります

4番 大きく大きく なったなら 
   兵隊さんだよ うれしいな 
   ねえ母さんよ 僕だって
   必ずお国を 護ります



そしてその後「一つの花」のストーリーの中の大きくなったゆみこになって、赤ちゃんの時戦死したお父さんに手紙を書かせた。すると「お父さん、国を守ってくれてありがとう。お父さんのお蔭で今、私たちは平和に暮らせているよ。絶対に幸せになるから天国で見守っていてね」に変わったという。
子供は純粋です。指導者の感性が子供たちの心を育てていくとしみじみと思う。その後も星野教諭は日本の真実や日本の善さを大好きな歌を通して伝えておられる。
子供達は「日本っていい国だね」「私日本が一番好き」と言うようになったそうだ。
私もわらべ歌の会でカットしたりしないで、昔の歌をそのまま歌うようにしている。先人たちが心を込めて美しい言葉で書かれた歌は心に響き自然と心が安らぐ。童謡や文部省唱歌が学校、家庭から消えてしまっている事を残念に思う。童謡や文部省唱歌は子供たちの心を豊かにし、感性を養う。復活したいものである。
                    坪田陽子
2014-02-10

保険で支払われる事の怖さ


先日久しぶりに、お馴染みの美容院に行ったときのことです。

 お店が改装された様に綺麗なので聞いてみたら、車がお店に飛び込んでメチャ
メチャに壊されてしまったそうです。
 3台の化粧台が倒され、それで足をけがしたそうです。
 その上水道管が破裂してお店がすっかり水浸しになり、道具類のほとんど全部
が使い物にならなくなったそうです。
 ところが、運転されていたご婦人は,悪びれることもなく 落ち着いて
 「すみませんでした。」と一言いわれただけだったそうです。
 そして、「後は、保険でやってもらいますから。」と、言われると水浸しのお
店からさっさと帰られたそうです。
 保険で払うからそれで良いと思って、ろくにあやまりもしない態度に腹を立て
て、今だに涙を浮かべて話してくれました。
 最後のお金は、保険で払うとしても、心から謝る必要があったのでは,ないで
しょうか?
 
さて、皆さんなら どうされますか?

 加納孝子
2014-02-09

安倍首相「北方領土の日」の快挙



2月7日が「北方領土の日」と言うことをご存知ない方は多いと思います。

高校生でも半分ちかくは、北方四島の地図に正しい国境線が書けないそうです。


そもそもソ連は先の大戦の終戦直前、まだ有効だった日ソ中立条約を破って対日
参戦しました。
しかも、日本のポツダム宣言受諾後に 択捉、国後、色丹、歯舞の四島を武力で
不法占拠したのです。
以来 69年になり、元居住者の平均年齢は79歳を超えたそうです。

今年の2月7日は、ロシア・ソチで開かれる五輪開会式と重なったのです。

ところがなんと 首相は先ず「北方領土返還全国大会」に出席され,あいさつを
されました。
そしてそのまま直ちに、ソチの開会式に向かわれました。

プーチン大統領が確約した首脳会談で大きな成果をあげるべく、強い決意を持っ
て望まれたようです。

日本人として,日本の領土がどこまでで,どういう状況なのか,知ることの大切
さを強く感じました。

加納孝子
2014-02-09

尚武のとき‼


 いよいよ東京都知事選挙を迎えますね。事ここに至っては、まさに『護国の神剣』で破邪顕正をなし、「武」の精神で、天照大御神まします豊葦原瑞穂国(日本)の国柄を体現できる方を選出することが望ましいのではないでしょうか。
 日本神話では、まず國生みのときに、伊邪那岐命と伊邪那美命が、天沼矛をかきめぐらしまして、國ができた様子が語られています。また素戔嗚尊が、母君である伊邪那美命恋しさに鳴き騒ぎ、父君伊邪那岐命に叱られ海原(地球)から追放されたあと、天照大御神においとまごいをするために高天原に上がるとき、大地が轟きました。そのとき、天照大御神(母性神の象徴)は、高天原を守るために武装して構える姿が語られています。國譲りの神話では、葦原中國の國譲りを躊躇する大国主命に対して、武御雷神が剣の刃を上向きに立て、その切っ先の上に胡坐(あぐら)をかいて談判しました。これらの故事から教訓を学ぶときでありましょう。
 また畏れ多くも初代の神武天皇を始め、天武・聖武・桓武天皇と諡号に「武」が用いられていることも思い起こしたいものです。
 そもそも「侍(さむらい)」とは「帝」のお傍に侍り、「帝」をお守りすることこそが、本分です。「海ゆかば」の歌を詠んだ大伴家持の大伴家は、帝を御護りする武門の家柄でした。後醍醐天皇を最後まで護り抜いた楠木正成公は、明治維新を成し遂げた勤皇の志士の鏡でした。東郷平八郎元帥・乃木希典閣下は忠君愛国を貫いた誉れ高き軍人です。
 國を作り固め、護持するためには「武」の精神が不可欠なのです。その「武」も「戈」を「止」めるためのものだということです。「戦争」や「テロ」を未然に防ぎ、皇居のある首都東京の防災対策はまさに焦眉の急です。
東京都知事選を契機に、日本中に「尚武」の氣風を漲らせたいものです。

柴田
2014-02-09

 陸自、米海兵隊と水陸訓練



 やっと 離島防衛のために自衛隊員を育成する、ということが実現化するよう
で良かったなと思いました。
 
 今年の6月から8月にかけて行われる 環太平洋合同演習に 今まで参加してい
た海自とは別に、始めて参加する陸自が、米海兵隊と水陸両用訓練を行うことに
なったそうです。
 
 陸自は「水陸機動団」を30年までに新設する方針だそうです。
 
 今回の演習には、中国海軍も初参加するそうです。
 その中国軍の面前で陸自と、米海兵隊の訓練を行う事により、日米両国の連携
強化を示す狙いもあるそうで、頼もしいかぎりだと思いました。
 加納孝子
2014-02-07

尖閣・竹島は固有の領土



 2月6日の産経に 国が領土教育の充実を検討し始めた記事があり,嬉しく読み
ました。

 下村文科相は、小学校の学習指導要領や教員向けの解説書に、沖縄県の尖閣諸
島と島根県の竹島を「我が國固有の領土」と明記することを検討する意向をしめ
した。と、ありました。
 1月28日には、中学校と高校の教員向けの学習指導要領解説書を改定し、尖閣諸
島と竹島を「我が國固有の領土」と明記したほか、学習指導要領そのものについ
ても、来年度から始まる改訂作業の中で領土と明記したい意向を示されたそうで
す。

 日本の領土を守る第一は、はっきり宣言し、明記するところから始まると思い
ます。嬉しく見守り応援していきたいものです。加納孝子
2014-02-04

「STAP細胞」開発した小保方氏



テレビでIPSより安全な万能細胞を開発した小保方晴子さんのことが放映されていた。30歳の若き研究員が白衣ではなく、割烹着姿で実験されているのが目に止まり、好感をもって見入った。
そして産経新聞を手にすると、なぜ割烹着なのか了解した。
「STAP細胞は」あまりに常識を破る革新的なことで誰にも信じてもらえなかった。昨春、世界的に権威ある英科学誌にネイチャーに投稿した際は、「過去何百年の生物細胞学の歴史を愚弄していると酷評され、掲載を却下されたという。
周りの研究者からも「きっと間違いだ」言われ、くやしくて泣き明かした。それでもくじけず、お風呂の時もデートの時も四六時中研究のことを考えていたそうな、実験の時は白衣でなく、お祖母ちゃんからもっらた割烹着を着て、御祖母ちゃんの応援を感じながら励み、ついに5年越しの努力が実り、立証することができた。
誰にも認められず落ち込んでいる時、やはり助けられるのは家族の絆だと思う。誰か一人でも信じて励ましてくれることが勇気を鼓舞し成功へとつながることを信じます。

坪田
2014-02-03

節分について


 二月三日は節分です。
もともと節分とは、「季節を分ける」という意味で、「立春・立夏・立秋・立冬」の前日のことです。とりわけ立春(二月四日ごろ)前の『節分』は、重要視されました。古くは、一年を春秋二季に分け、立春が新年の初日で、その前日の節分は旧年の最終日(大晦日)でした。それが太陰暦によって、一月の望(もち・満月)の日が年の始めとされ、さらに太陰太陽暦の採用で一月朔日(さくじつ・ついたち)が年の始めとされました。今では大正月(一月一日)・小正月(一月一五日)・節分(二月三日)と三つに分かれていますが、新春の年迎えの行事という意味では共通の性質があります。
二月三日の『節分』では、全国各地の神社仏閣で、「豆撒き」など節分行事が賑やかに執り行われます。またそれぞれの家庭でも「鬼払い」として「豆撒き」を行います。
昔から季節の変わり目には邪気(悪霊)が生じると考えられました。「鬼」は、「悪霊・災厄・魔」の象徴。これを外に追い払うために、「鬼は外、福は内」と「豆」を撒きます。
「豆(まめ)」には「生命力」があり、健康・勤勉・実直・実用という意味の「まめ(忠=実)」の意に通じ、「魔」を払う力があるとされたのでしょう。また「鬼」の「目」に「魔目(まめ=豆)」を投げつければ「魔滅(まめつ)」に通じ、邪気を払い一年間の無病息災を願うという意味をこめたのでしょう。一説では「豆」は、「桃の仁(桃の種の核)」の代用品との説もあるそうです(神話の中で、伊弉諾尊が黄泉の国の死神に追われたとき、「桃の実」を投げると死神が逃げ帰った故事を連想しますね)。ちなみに、頭・體(からだ)には豆(まめ)の漢字が使われており、豆は壹(いち)ばん大切だと昔の人は理解していたのでしょう。普段の食事でも豆類をとると頭も良くなり、体も丈夫に「まめ(忠=実)」なります。
「鬼」が「悪霊」の象徴とされたのは、支那から伝わった「追儺式(ついなしき)」の影響があります。「追儺式」は、唐の時代の様式を取り入れ、宮中で平安時代の頃から十二月の晦日に行われていた悪鬼・疫病を払う行事です。舎人(とねり)に鬼の扮装(ふんそう)をさせ、内裏(だいり)の四門を巡って追い回し、大舎人長(おおとねりちょう)が「方相氏(ほうそうし・悪鬼や疫病を払う役)」の役をつとめ、黄金四つ目の仮面を被って、手に鉾(ほこ)と盾(たて)をとって、大儺(おおな)という鬼と一緒に駆け回り、最後に殿上人(てんじょうびと)が「桃の弓・葦の矢」で鬼を駆逐する行事です。この行事が時代とともに形をかえ、今日の「節分」行事となっていきます。
ただわが国では、もともと祖霊が「鬼」の姿となって悪霊や災厄を払い、私たちの生活を守ってくれるものと信じられた一面もありました。東北地方のナマハゲや、小正月に鬼や異形者(いぎょうしゃ)の扮装をして各家々を訪れる習俗も、その名残が今に残っているものといえましょう。
何かと忙しい日常生活、「節分」・「立春」の年中行事や歳時記を意識することで、心身を禊払い、日常生活のリズムを整えたり、新たな決意をしたりするなど、節目に物事のけじめをつける契機を見出したいものですね。

柴田
プロフィール

黎明教育者連盟

Author:黎明教育者連盟
黎明(れいめい)教育者連盟は皇室を敬い、伝統文化を守り、戦後の誤れる教育を正し、­日本の再興を子供の教育から目指す教育団体です。
小学生向けの「寺子屋」や、親子参加型の「親子寺子屋」「乳幼児寺子屋」などを中心に、絵画­教室、書道教室、礼法教室、着物教室、歴史講座、古事記勉強会、童謡・唱歌わらべ歌の­­­会、子育て相談などを運営しています。現代の興廃した教育環境の中で、自分の子供­にはどんな教育をしたらいいか、お悩みではありませんか。日本人として誇りの持てる人­生­を­お子様には歩んでほしいものです。どなたでも参加出来ます。ぜひお気軽にお問­い合わせ下さい。
http://reimei-kyoren.com

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