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2014-01-31

ウッドチップで除染



1月29日の産経新聞に横浜国立大学大学院環境情報研究員の金子信博教授が、放射性セシウムで汚染された森林をウッドチップを使って除染する技術を開発されたと載っていた。
福島第一原発事故で汚染された森林の土壌自体を掘削して除去しているのをテレビで見て、いつも森林が壊されるのではないかと心配だった。又除去した汚染土を始末することは至難の業である。ウッドチップをメッシュ状の袋に入れて森林に設置すれば森林の土壌に生息する菌類がセシウムを吸収すると言う。
袋の中で一定程度吸収し育った段階で袋を回収する。設置と回収の作業を繰り返すことで除染出来るという。森林が荒廃することはない。それに何より、回収後のウッドチップはセシウムが少ないため、燃やしてバイオマス発電に役立てることができるそうだ。まさに一石二鳥である。
日本の開発技術のすごさに感嘆した。日本人は心底に大和魂があり、課題を見逃さず人類の為に真剣に取り組み、道を開く民族であると改めて認識した。

坪田
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2014-01-31

孝明天皇のご聖徳を仰ぎ奉る


 1月30日は、孝明天皇が崩御なされた日(慶應二年十二月二十五日 1867年1月30日 御年三十六歳)にあたり、宮中皇霊殿で孝明天皇祭が執り行われ、今上陛下も御拝礼なされます。
 孝明天皇は弘化三年二月十三日(1846年3月10日)、御年16歳で御位をお継ぎになられました。
ご即位前の1837年には、大塩平八郎(中斎)が幕府の政道を正すために大阪で蜂起しました。1840年には、隣の清国でアヘン戦争が起こり、清国が敗北。不平等条約たる南京条約締結を余儀なくされ、香港が割譲されました。欧米帝国主義列強がアジアに進出し、わが国に手を伸ばし始めていました。まさに風雲急を告げる内憂外患に時節であったのです。
孝明天皇は、嘉永四年三月に勅命を出され、皇位を簒奪せんとした弓削道鏡を、宇佐八幡宮のご神託に基づき排除した和気清麻呂公を神として祭り、護王大明神の神号と正一位の位を贈られました(京都の護王神社の由来はここにあります)。和気清麻呂公が「身の危うきを顧りみず、雄々しく烈しき誠の心を尽し」たことを御追賞なされました。
また歴代天皇の御陵の荒廃をお嘆きになられ、御陵の修復にもあたらせました。孝明天皇の御代に百箇所あまりの御陵が復古されました。皇祖皇宗の神霊の御恩徳に報いる御姿勢をお示しになられたのです。
このように混迷した世相を正すにあたり、道義心の回復を大事となされたことは特筆すべきことです。
嘉永六年(1853年)六月、アメリカのペリー提督率いる軍艦が浦賀に来ると、「小敵といえども侮らず、大敵といえども恐れず、善く謀(はかりごと)をめぐらして、国体に瑕疵(きず)をつけないよう、十分処置せよ」との勅諭を幕府に下されます。また「四海静謐・万民和楽」、「神明の冥助によって神州を汚さず、人民を損せず、国体安穏、天下泰平」ならんことを伊勢神宮・熱田神宮始め諸大社、仁和寺以下七寺に祈らしめられました。
さらに安政五年(1858年)日米修好通商条約の勅許を求めてきた老中堀田正睦の奏請を退けられ『攘夷』の姿勢をお示しになられました。それは、欧米列強の植民地化を阻止し、何んとしてもわが国の独立を確保すべきとの強い御意志と拝察されます。
孝明天皇の国と民を思う御製をご紹介致しましょう。

朝夕に 民安かれと 思ふ身の 心にかかる 異国の船
国安く 民のかまどの 賑ひを 見も聞きたきぞ 我が思なる

孝明天皇の大御心に応え奉らんと、多くの勤皇の志士たちが立ち上がったことは周知のことでありましょう。
日米修好通商条約を独断で結んだ大老井伊直弼による安政の大獄で追われ、西郷隆盛と薩摩の海に身を沈めた僧月照は次の歌を詠んでいます。
 
大君の 為には何か 惜しからむ 薩摩の瀬戸に 身は沈むとも
 
また坂本龍馬は、同志であった池内蔵太のお母さん宛ての手紙に次のように書いています。  

「この数ならぬ我々なりと、何とぞして今上様(孝明天皇)の御心を安めたてまつらんとの事、御案内の通り朝廷というものは国(土佐藩)よりも父母よりも大事にせんならんというはきまりものなり」
 
 武士として大切な国(藩)よりも、父母よりも天皇(孝明天皇)・朝廷は大切であるという坂本龍馬の尊皇心。月照の歌とともに当時の勤皇の志士に共有する『君臣一如・君民一体』の忠誠心があればこそ、のちの明治維新に繋がったといえましょう。

さらに明治天皇はご幼少のころ、父君孝明天皇御自ら清涼殿の前庭に端座せられて御祭りをなさる御姿に従われ、後ろで御祈願なされたと伝えられています。
明治天皇晩年(明治四十三年)に次の御製をお詠みになられました。

たらちねの 親のみまえに ありとみし 夢のをしくも 覚めにけるかな
 
孝明天皇が身をもってお示しになられた『敬神崇祖』の厳格な御教育が、まさに明治天皇に受け継がれ、さらに平成の御代今上陛下にも継承されています。
今上陛下は平成九年八月十九日に京都の石清水八幡宮に御親拝なされています。孝明天皇が国難打開の祈りを捧げられた同じ御作法でお祈りあそばされました。それは元寇の際の亀山上皇のお祈りと一にするものでもあります。
今まさに内憂外患の折、改めて孝明天皇のご聖徳に感謝し、『君民一体』の国柄を回復して、天皇国日本を守るべく各々の職責を果たしていきたいものです。
 
 
柴田
2014-01-28

国旗制定記念日に際して


1月27日は国旗制定記念日です。明治3年旧暦1月27日(1870年2月27日)の太政官布告によって『日の丸』が国旗として法令化されたことが由来です。
わが国は、天皇陛下のご祖先(皇祖神)として太陽神である天照大御神を、八百万の神々の中心としてお祭りする神話が息づく国柄です。
歴史的には、まず推古天皇の摂政であった聖徳太子が、607年の遣隋使の国書の中で、わが国を「日出づる処」と位置付け、隋に屈することなく対等な外交関係を築こうとしました。その後天武天皇のご遺志を継がれた持統天皇による飛鳥浄御原令で、「日本」という国号が定められたとされています。ちなみに天照大御神を中心にお祀りされる伊勢神宮の式年遷宮も、天武天皇のご発案で持統天皇の下で初めて行われました。まさに「日本」とは、「太陽が昇るところ」という意味であり、天照大御神を祭るわが国は、世界でも数少ない「太陽文明」の国と称してもよいでしょう。
『日本』という国号がそのまま国旗となった『日の丸』の旗ですが、『続日本紀』によると、大宝元年(701年)文武天皇のときの元旦の朝賀の儀に使われたのが最初だとされています。その時の旗は、「赤地に金丸」だったそうです。その後源平の戦い以降武士の時代には、慣習的に「白地に赤丸」の旗が使われ、今日に至っています。
では、『日の丸』の意味ついて述べてみましょう。
太陽(日)は全ての生き物を育む『生命の根源』で、古くから日本人は男性を『日子命(ひこのみこと)』、女性を『日女命(ひめのみこと)』と呼んでいました。まさに人間は『太陽の子(ひと=人=日止=霊止)』という認識があったのでしょう。そして事あるごとに、天地万物を生かす太陽の恵みに『感謝』を捧げていたのです。とりわけ元旦の「旦」の字は地平線・水平線から朝日が昇る姿を現す象形文字。御来光を拝む風習も私たちの深層心理の中に「太陽の子」という記憶のなせるわざなのでしょう。     
○の標識はすべての人や物事を丸く円満にまとめる『ヤマト(大和)』の精神を表します。「ヤ」は「八百万」・「八百屋」など「たくさん・数多く」という意味、「マト」は「まるく、とどめる」とどめるということです。
赤色は『赤誠』、「少しも偽りのない心。ひたすら真心をもって接する心」を表します。白色は、「清らかで純粋な心」を表します。日本人は清く明らかな『清明心』や真実を貴ぶ『まこと(誠=真事)』を大切にしてきました。
まさに日本の心と理想が反映されているのが、国旗『日の丸』といえましょう。将来を担う子供たちが国旗の由来を知り、日本の心と理想に生きる大人へと成長してほしいと願います。

 
柴田
2014-01-24

朝のホンのつかの間の出来事


今朝、駅へ向かう途中で三歳くらいの男の子と出会いました。
坂道を転がるように走って行き、その後をお母さんが赤ちゃんを抱いて
心配そうに、名前を呼びながらその男の子を追っかけていくのです。
私もハラハラしながら早足でついていきました。信号でその子が止まったので、
「僕、かけっこ早いね!でもお母さんを待っててあげてね。」と私は声をかけました。
信号が変わると又走り出したので、私の言う事など聞くわけないかと思い歩いていくと、
次の曲がり角のところで彼は待っていました。お母さんが先に着いていましたが私が来るのを
待っていてくれたのです。私は思わず「おばさんも待っててくれたの?ありがとうね!」といいました。
すると嬉しそうに一緒に歩いて駅まで行き色々な話をしてくれました。

朝のホンのつかの間の出来事でしたが、お母さんの心配をよそに子どもは自分の出来ることを
お母さんに見せたくて走っていることなのでしようがー。親子の思いが違うところに在るのですね。
私も子育てをしていたときは子供の心が分からなかったことがいっぱいあったと思います。
でも今日は第三者として見ていると、親も子も相手のことを思っているのですが、
なかなか親子で分かり合えないことがあるのだなとおもいました。
私を待っていてくれたのは彼のことを認めてあげたからでしょうか?
別れ際に黎明の機関紙『観の教育』をお母さんに手渡し、
読んでくれると良いな〜と思いながら電車に乗りました。


                                  崩田和美
2014-01-23

再び福澤諭吉『脱亜論』と『学問のすすめ』について

 
 sankei.jp.msn.com/world/news/131222/kor13122209410001-n1.htm …
 
産経新聞政治部専門委員の野口裕之氏が、福澤諭吉の朝鮮・支那観を簡潔に要約しているので、ご紹介しておきます。

《脱亜論》《朝鮮人民のために其国の滅亡を賀す》《文明論之概略》などを総合・意訳すると、福澤諭吉(1835~1901年)の朝鮮・中国観はこうなる。
 (1)過去に拘泥し、国際紛争でも「悪いのはそっち」と開き直って恥じない。この二国に国際常識を期待してはならない
 (2)国際の法やマナーを踏みにじって恥じぬ二国と、隣国故に同一視されるのは一大不幸
 (3)二国には国際の常識・法に従い接すべし。(国交は別として)気持ちにおいては断交する
 (4)文明とは智徳の進歩なり
 (5)大国に擦り寄り右往左往する事大主義、国家に挺身する憂国の志士の少なさは、国家を滅亡させる。
 
流石にわが国の通貨一万円札の肖像画に載るだけの人物。今日にも充分通用する見識です。因みにかつての一万札は聖徳太子が肖像画でした。
 福澤諭吉や聖徳太子に通底しているのは、支那大陸文明からの『自立』という主題でもありましょう。特に福澤は、近代国家形成にあたり個人と国家の『自由独立』を追究した人物でありました。
 
福澤の『学問のすすめ』には、次のように述べられています。

 「一人の人間も、一つの国も、天の与えた道理というものに基づいて、もともと縛られず自由なものであるから、そうした一国の自由を妨げようとするものがあったら、世界のすべての国を敵にしても恐れることはないし、個人の自由を妨げようとするものがあれば、政府の官僚に対しても、遠慮をすることはない。ましてや近頃は四民平等の基本もできたことなので、みな安心して、ただ天の道理にしたがって思う存分に行動するがよい。」

「わが日本国民も、いまから学問に志し、しっかりと気力を持って、まずは一身の独立を目指し、それによって一国を豊かに強くすることができれば、西洋人の力などは恐れるに足りない。道理がある相手とは交際し、道理がない相手はこれを打ち払うまでのこと。一身独立して一国独立する、とはこのことをいうのだ。」(斎藤孝訳『現代語訳 学問のすすめ』)

まさに「千万人と雖も我往かん」、明治人の気概ここにありというべきでしょう。
個人と国家の『独立自尊』のための学問と教育の在り方が、今の日本にはまさに問われていると思います。また外国交際(外交)にあたって外交官や政治家に今一度心得て頂きたい言葉だと思います。
今こそ福澤の気力・胆識に学ぶべきときです。

柴田
2014-01-23

親善大使としてマレーシアに行き君が代を歌えなかった。




26年1月13日の産経抄に今年の「土光杯弁論大会」のことが
書かれていた。弁士の慶大生の山本みずきさんは、3年前高校1年の夏、福岡市の親善大使としてマレーシアの学校で、日本の国歌を歌えなかった。恥ずかしかったからではない。君が代の歌詞を知らなかった。・・・・・その後海外渡航を繰り返すなかで、日本と言う国のありがたさを体感していく。そしてこの日19歳の誕生日を迎えた山本さんは、若者が建国の歴史を知らない現状を憂い、当たり前に国を愛することができるようにしなければ、と訴えていた。そうです。
黎明親子教室に参加しているKさんも親子教室に来るまで君が代を歌えなかった。小学生の時音楽の教科書で、君が代が掲載されているページは白い紙を貼らされ、一度も歌ったことがなかったという。日教組の反日教育がいかに子どもたちを傷つけているかを思うと切なくてならない。
 又産経新聞社杯を獲得した秀明大の金城兼一郎さん(22)は沖縄出身で大学で歴史を学び、地元の「平和学習」の異常さに気づいた。一方で本土の人たちが、あまりに沖縄の悲惨な事実を知らないことにも驚く。来年度から小学校の教壇に立つ金城さんは、沖縄と本土の懸け橋になりたい。と述べたという。
 今真実に目覚めている子供たちがいることは頼もしいことです。しかし、一日も早く教育改革をして、日本の素晴らしさを教え、日本に生まれ、日本人であることを誇りに思う子どもに養育せねばならないと思う。今後自虐教育で子供たちを苦しめてはならない。われわれの活動は重要である。
                        坪田陽子
 
2014-01-22

小室直樹「悪の民主主義」を読んで

戦後民主主義は、教育を殺し、ついに無目的殺人少年を生んだ、とあります。たとえば、サカキバラ事件である。
中学三年のA少年(15歳)が異常な行動をおこしたが、精神に異常はなかった。
異常なのは教育そのもの、日本そのもの、戦後民主主義そのものである。

この子の母は彼を甘やかせず、しかりつけ気味に育てた。
彼が母との同一化を求めて泣き叫んだ時放任して、早くから深い痛みがうずいた。
それが苦しんでいる対象と同一化する要求へと倒錯して,動物虐殺から殺人にまで走った。

同一化の喪失は連帯の欠如となり、これは全日本にみなぎっている。人にとって連帯ほど大切なものは無い。
連帯を失えば耐えられない孤独感におそわれる。
凶暴になり自殺するかもしれない。

日本史は犯罪の歴史であると教えたので、日本人は国家との同一化を失った。
親が権威を失ったので家族の連帯も失われた、
受験戦争が友人間の連帯に止めを刺した。
勉強も学校もいやになり、「誰でも良いから殺してやりたい」と思う。

少年犯罪にたいして誰も「良心」について語られない。
「モラルの喪失」「良心の不在」またこのことについての社会の無関心こそが特徴である。
何が良心を失わせたか?それは戦後の「民主主義教育」といわれてきたものだ。
戦後の「民主主義教育」では「平等」とは「みんなおなじでないといけない」ととんでもない誤解をしてきました。
どの生徒にも受験以外をすすめず、受験地獄もここから発している。
権威の無い父が「受験勉強しろ」とこれだけを命令する、または母に代行させる。
これにより「受験戦争」が凄惨なものとなる。

殺したい気持ちに対してのストッパーは「良心」なのです。
何が良心をつくるのか。
父性が良心をつくるのです。
良心が人の規範、倫理、道徳をつくるのです。と書かれていました。
父性とは肉親の父に限らず、権威である。
権威とは「何が正しく、何が正しくないか」をつくるということです。
父性と社会規範とは一方が崩壊すると他方も崩壊する。
父泣き社会は精神分裂症を生み、家庭内暴力を生み、殺人にまで走らせている、と書かれています。
今こそ父性の復権が望まれます。
それを造りだすのは、女性の力によるのが大です。
今やらなくていつやるのか?「今でしょ!」

加納孝子
2014-01-20

福澤諭吉の『脱亜論』と戦略的鎖国⁉

http://sankei.jp.msn.com/politics/news/140110/plc14011003060002-n1.htm


今年は、甲午(きのえうま)の年。『甲(きのえ)』とは、「かぶとやよろいを意味して、殻をぬぎ新たな芽が出始める年」であり、『午(うま)』とは、「杵の形をした呪器の象形文字で抵抗・対抗」を意味する。従って「平成26年は、古いからを破り新しい芽が吹きだそうするが、内外からの妨害が多く、なかなか日本は苦しむことになる」、と吉野吉水神社の佐藤素心宮司は、安岡正篤氏の『干支の活学』をもとに解説する。
 今から120年前の甲午の年には、朝鮮半島で『甲午農民戦争』が起こり、それが切っ掛けで『日清戦争』が勃発した。
 現在のわが国を取り巻く東アジアの国際情勢は、まさに往時を彷彿とさせるものがある。その緊迫した当時の国際情勢のなかで福澤諭吉の『脱亜論』は主張された。中共が帝国主義化し、韓国が事大主義に回帰している今こそ、福澤の『脱亜論』は見直されるべきであろう。拓殖大学総長・渡辺利夫氏の論稿はそのことを指摘している。
 渡辺氏は、次の様に論稿で結語する。
 
 「支那・朝鮮への対応は『正に西洋人が之に接するの風に従て処分すべきのみ』と福澤はいうのだが、現在の文脈でいえば、抑止力を背後に擁して外交に臨むのでなければ何事も解決しない、という意味に他ならない。日米同盟における集団的自衛権行使容認は喫緊の課題である。福澤の『生存のリアリズム』の再興、これこそが今年の日 本の最大のテーマでなければならないと思うのである。」

 その通りであり異論はないが、日米関係の緊密化や集団的自衛権容認の前提として、自分の國は自分たちで守るという『自主防衛』の気概と構えが必要である。まさに『國防』とは何か、そして戦後民主主義・平和主義風潮下における「焦頭爛額」の危機に際して、一國民として何ができるか腹を据えてしっかりと考え取り組む年の始まり、と今年はなるのであろう。

 ちなみに老子八十章に次の言葉がある。

 「隣国、相い望み、鶏鳴の声、相い聞こえて、民、老死に至るまで、相い往来せず。(訳 かくて隣の国は向うに眺められ、鶏や犬の鳴き声は聞こえてくるほどに近くて も、人民は死ぬまで他国に行き来することがない。)」(福永光司『老子』朝日選書)

 東アジアの国際関係にあっては、どうやら福澤や老子に学ぶ必要が大いにありそうだ。
 

柴田
2014-01-19

『日本海』に『東海』の併記を許して良いのですか?



一月15日の産経新聞に、米バージニア州議会ので、州内の公立学校の教科書に、
「日本海」に加え「東海」を併記することを求める法案が上院小委員会で承認さ
れたそうです。その法案は教育厚生委員会で採決され、過半数に到れば上院本会
議に上程されるそうです。日本政府は」日本海は国際的に確立した唯一の呼称で、
争うべき余地はない」と外務省のホームページで反論しているそうですが、韓国
のロビイ活動に比べて、あまりにも手ぬるいのではないでしょうか?やはり日本
も今すぐに打つべき手を打たないと、いけないと思います。議員さん方是非日本
の国を守り抜いてください。お願いします。加納孝子
2014-01-16

都知事選に田母神氏を応援します。

東京都の知事選は,細川氏と桝添氏との対決と新聞に出ていましたが、この二人
では、東京は良くならないと思います。田母神氏こそ、東京を力強く発展させて
下さる,真のリーダーだと思いますので、よくぞ立候補して下さったと、感謝し
ています。沢山の都民の方々のご賛同を期待しています。

加納孝子
2014-01-16

年の初めに家訓を!!

昨年ベストセラーとなった「海賊と呼ばれた男」の作者百田尚樹さんが主人公の出光佐三さんのことを書くきっかけになったのは昭和二八年に起こった日昇丸事件を知り驚き、出光佐三さんそして佐三さんを支えた男たちのすごさをとにかく日本人に知らせたかったという思いだけだったそうです。
 私はこの本を読みながら何度も感激して涙しました。
作家の百田さんも書きながら何度も泣いたそうです。世界を驚かす大胆不敵なすごいことができた佐三さんは生まれ持った性格はもちろんあるでしょうが、勤勉で厳格な父親の影響が大きいと思います。「一生懸命働け」「質素であれ」「人の為に尽くせ」と小さい時から言い続けられ成長したと言います。
 正に人格形成は家庭教育にあると思います。
 私も折に触れ祖母や母に言われた事が何かにつけて思い出され節々に身を慎む等、生きる道の選択や指針となったものです。
 
 乳幼児寺子屋に来ているTさんは、うまれたばかりのH君に、毎晩寝る前に子守り歌のように教育勅語を聞かせていたそうです。すると二歳過ぎたばかりのころからまだ会話も片言なのに、教育勅語はすらすらと言えるようになったのです。正に赤ちゃんはものすごい力を持って生まれて来ている。如何に毎日与えている言葉が人格形成と成り、人生を支配するかが確証されます。
 
 新しい年の初めに家訓等決め、毎日家族の皆で唱えてはいかがでしょうか。きっと清々しい1年になると思います。

坪田陽子
プロフィール

黎明教育者連盟

Author:黎明教育者連盟
黎明(れいめい)教育者連盟は皇室を敬い、伝統文化を守り、戦後の誤れる教育を正し、­日本の再興を子供の教育から目指す教育団体です。
小学生向けの「寺子屋」や、親子参加型の「親子寺子屋」「乳幼児寺子屋」などを中心に、絵画­教室、書道教室、礼法教室、着物教室、歴史講座、古事記勉強会、童謡・唱歌わらべ歌の­­­会、子育て相談などを運営しています。現代の興廃した教育環境の中で、自分の子供­にはどんな教育をしたらいいか、お悩みではありませんか。日本人として誇りの持てる人­生­を­お子様には歩んでほしいものです。どなたでも参加出来ます。ぜひお気軽にお問­い合わせ下さい。
http://reimei-kyoren.com

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