2013-08-12
大東亜戦争の一側面~国際共産主義と敗戦革命~
http://sankei.jp.msn.com/world/news/130812/chn13081209400000-n1.htm
本日付産経新聞の記事「『日本政府が共産主義者に降伏』 終戦間際、中国武官が『米の最高機密』として打電」は、ソ連(コミンテルン)の情報工作がわが国政府・陸軍中枢部に浸透していたことを示す1次資料の発見であり、今後の更なる新資料の発見と研究の深化が期待される。
まず確認しておきたいのは、戦前における学者・マスコミ言論界や軍部・政治家などへの共産主義思想の多大な影響、独裁者スターリンや共産主義国ソ連への実態と乖離した『幻想』が猖獗していたということである。
例えば、前掲の記事に次のように紹介されている。まず鈴木貫太郎の発言「スターリンは西郷隆盛に似ているような気がする」や、鈴木貫太郎首相に影響力を与えた秘書官を務めた松谷誠・陸軍大佐の発言、「スターリンは人情の機微があり、日本の国体を破壊しようとは考えられない」「ソ連の民族政策は寛容。国体と共産主義は相容れざるものとは考えない」などと、日本が共産化しても天皇制は維持できるとの見方を示し、さらに「戦後日本の経済形態は表面上不可避的に社会主義的方向を辿り、この点からも対ソ接近は可能。米国の民主主義よりソ連流人民政府組織の方が復興できる」として、戦後はソ連流の共産主義国家を目指すべきだと考えていたこと。
さらに昭和20年4月に陸軍参謀本部戦争指導班長、種村佐孝大佐がまとめた終戦工作の原案「今後の対ソ施策に対する意見」でも、「(1)米国ではなくソ連主導で戦争終結(2)領土を可能な限りソ連に与え日本を包囲させる(3)ソ連、中共と同盟結ぶ」-と書かれていることが示されている。
また、真珠湾攻撃目前の16年10月、ソ連のスパイ、リヒャルト・ゾルゲの協力者として逮捕された朝日新聞社記者で評論家の尾崎秀実は「(われわれの目標は)コミンテルンの最終目標である全世界での共産主義革命の遂行」で、狭義には「ソ連を日本帝国主義から守ること」と供述していることも本記事では紹介されている。
ひとまず鈴木貫太郎は別として、松谷・種村・尾崎などの政治家・軍人・ジャーナリスト達は、共産主義という自分の信条のために行動していることがわかるであろう。つまりレーニンの『帝国主義論』や革命論を前提として、わが国の敗戦を契機に『共産革命』を狙おうとしていたのである。まさに唯物的共産主義(マルクス・レーニン主義)は亡国の論理であり、唯物的共産主義(マルクス・レーニン主義)を理想とし、それを信条したものは亡国かつ非人間的行為に至るのである。
レーニンから始まりスターリン時代には、『プロレタリア階級の敵』の名のもと何千万という人々が『虐殺』され、『民族弾圧』もなされて来たのがソ連の実態であった。現在でも、中共や北朝鮮の共産体制下の『民族弾圧』や民衆への『虐殺』が続いているのは周知の事実である。
ちなみに戦前おいてもソ連の実態を洞察した思想家は何人もいた。例えばF・ハイエクの『隷従への道』・ケインズの『ロシア管見』・M・ヴェ―バー『社会主義』などのソ連批判、わが国では山本勝市の社会主義経済批判や与謝野晶子のヘソ連観は、当時ほとんどわが国で顧みられなかった。またロシア革命前に共産主義の悲惨な結末を洞察したニコライ・ベルジャーエフ・ドストエフスキーのような思想家・文学者もいたが、これら思想家の洞察にもわが国のインテリは関心をあまり示さなかった(戦後も同様、時に「進歩的文化人」と呼ばれた人達)。戦後だけでなく、戦前も社会主義・共産主義思想が思想的に流行していたことが改めて確認しておきたい。
昭和20年2月、「国体護持にもっとも憂うべき共産革命に急速に進行しつつあり、共産分子は国体(天皇制)と共産主義の両立論で少壮軍人をひきずろうとしている」と上奏文で、昭和天皇に警告した近衛文麿元首相も京都大学でマルクス経済学の河上肇に学んでおり、社会主義・共産主義には共感していた。近衛内閣下の昭和研究会には、尾崎秀実や共産主義者の三木清などがおり、国策に大きく影響を与えていた。今後は支那事変(日中戦争)拡大における国際共産主義ネットワークとわが国政府中枢部、つまりコミンテルン・中国共産党と近衛内閣の関係がさらに研究されなければならないだろう。
例えば、盧溝橋事件の発端が、日本軍と国民政府軍を戦わせるために中国共産党の劉少奇のグループが発砲したという説。局地戦でしかも現地で停戦協定を進めていたにも関わらず近衛内閣が『国民政府は相手とせず』と声明をだしたその真相。更には、1964年毛沢東が、日本社会党の佐々木更三委員長に次のように語ったその本意。
「(日本軍国主義の支那「侵略」に対して日本が)何も申し訳なく思うことはありません。日本軍国主義は中国に大きな利益をもたらし、中国人民(中国共産党)に権力を奪取させてくれました。皆さんの皇軍なしには、われわれは(中国共産党)が権力を奪取することは不可能だったのです。(中略)過去もああいうこと(支那事変・日中戦争)は、よい事であり、われわれ(中国共産党)の助けとなったのです。」(丸カッコ本稿筆者 東京大学近代中国研究会『毛沢東思想万歳』下巻)
つまり、支那事変・大東亜戦争が『中共』の成立を結果的に促した側面ついても、今後更に研究を深める必要があるのであろう。大東亜戦争のアジア解放の課題は残されており、それを真に実現するためには、チベット・ウイグル・内モンゴル・台湾の独立や漢民族や少数民族の中共体制からの解放、北朝鮮の金体制からの民衆の解放がもとめられよう。また今後支那大陸の『国際管理体制』への移行なども考慮しなければならないかもしれない。現在の歴史の見直しとともに、わが国は現在の支那大陸の動向を距離をとりつつ見定めておく必要があろう。
柴田
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