2013-04-30
主権回復記念国民集会

4月28日に主権回復記念国民集会が日比谷公会堂にて行われましたので参加しました。
この日の午前中には、政府主催の式典が天皇皇后両陛下ご臨席のもと挙行されました。
政府主催の式典が行われたことは大変意義深い事と思います。やっとここまできたか、という感じですね。
しかし政府インターネットTVでその模様を見ましたが、(安倍総理の式辞はともかくとして)最後に天皇皇后両陛下がご退席する際に万歳三唱があったのですが、なんとも半端な。。。あれはなんでしょうか。
ちゃんと総理が音頭をとって、やってほしかったですね。両陛下が退席されるとき、誰とはなしに万歳がはじまっちゃった、みたいな。。。これを見たとき、まだまだ、先は長いと感じましたです。。。
で、国民集会は、6月から始まる中目黒の寺子屋のチラシを集会が終わり次第、配る目的であったのですが、それまで会場で各登壇者のはなしを聞いておりました。やっぱ、政治家で、骨があるというか、ちゃんと芯が通っているのは、西田昌司先生と西村真悟先生の西&西コンビでありますなぁ、と思いました。いや、もちろん他のみなさん大変有意義なお話をされて大変すばらいのですよ。しかし、死ぬ覚悟がある、というような真に迫ったお話であったのは、西&西であると感じました。それと特定失踪者問題調査会の荒木さんはいつも具体的で冷静なお話は感銘を受けますね。大変立派です。
内容は自主憲法問題と拉致問題が主でありました。当然です。
憲法問題はいま、政界では改正論が主流のようですが、改正じゃぁ、ほんと主権回復とは到底言えない訳であります。憲法については、柴田塾長がきちっとブログにも書かれてますので、私は割愛いたしますが、付言するとすれば、今の憲法といわれているのは、アメリカ人が書いたものである、ということです。たとえどんなに素晴らしい内容であったとしても、日本の憲法は日本人自らが、書き、制定しなければ、これは自主憲法でもなんでもないということです。憲法は国家の基本方針、国体を表しているのであるから、今のは憲法じゃないんですよね。法的にどこの角度から見ても、違法で無効なんですね。我々はですね、ウソの上に乗っかって戦後生きてきたんです。そろそろ自覚して恥ずかしい事であったと気づいてほしいものですね、政治家の方々には。
それと拉致問題です。
拉致被害者を奪還できない国家というものは、国家でない、これだけです。
法律とか、他国の事なんか関係ないんですよね。奪還作戦を今すぐ、即、実行し、救出してくれ!!
被害者家族を思うとき、私は涙が出ます。我々はこんな豊かな暮らしをしています。これでは申し訳がたたないです。
署名運動の甲斐が有り、1000万筆突破したそうです。素晴らしいことと思います。思いますが、
これじゃ足りなくないですか。5000万、いや1億筆の署名を集めませんか!
繰り返しになりますが、法律なんかいらないんですよ、奪還作戦を実行せよ!!
これが救出を願う家族と国民の思いである!!
實吉
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2013-04-29
2013-04-27
廃憲論の是非
4月26日付の産経新聞に軍事評論家の兵藤二十八氏(占領憲法廃憲論者)と京都大学名誉教授の中西輝政氏(占領憲法改正論者)のそれぞれの見解が併記されていた。
筆者は、兵藤氏の見解を概ね評価し、中西氏の見解を中心にここでは論評を加えたいと思う。
中西氏は、憲法無効論について「国際法的に根拠があり、その論理からいえば憲法無効論は正当だと認めていいだろう。法律と歴史を学んだ人間として、現憲法廃棄は筋の通った議論だと認めたい。」と一定の評価を下している。
ただ占領憲法無効論の認識について、以下の矛盾と誤解があるように思う。
①同じ戦後の国際秩序下であるにもかかわらず、占領終了直後の無効宣言に評価を加え、今日の廃憲論(無効論)では『戦後の国際秩序を否認したと受けとられる』と解釈している点。
中西氏の論旨に一貫性を持たせるならば、占領終了後の無効宣言であれ、現在のものであれ、『戦後の国際秩序』の『否認と受けとられる』とすべきでないか。「連合軍による占領が終わった直後なら、憲法の不成立や無効を宣言決議すれば十分だった」のは何故なのか。むしろ占領後すぐの方が、戦争が間近であった分、『戦後の国際秩序の否認』と受け取られやすいとも言えるのではないか?
ところで、そもそも『戦後の国際秩序』は妥当性があるものなのだろうか。例えば「東京裁判史観」批判の本質は、不公正な『戦後の国際秩序』への意義申し立てであろう。国際社会に公正な法的正当性を確立することが、国際平和への道筋といえよう。パール判事の立論もそこにある。偏狭なナショナリズムでなく、公正な法秩序の確立に基づく『戦後の国際秩序』の超克が今日の国際社会に求められているのではないだろうか。東京裁判史観批判と表裏一体とも言える占領憲法無効論にはそうした思想課題もあると考えるのは牽強付会の見方だろうか。
②現行憲法廃棄(無効)が政治的・法的安定性を損ねるという誤解
これは旧来の無効論ではある面当てはまるかもしれないが、現行憲法を明治憲法体制下の『講和条約(憲法的講和条約)』と位置付ける南出喜久治氏の新無効論(真正護憲論)の場合には必ずしも当てはまらない。新無効論(真正護憲論)は、国民の認識をまず転換し、『正統憲法』秩序に、現行の法制度を徐々に整えるもので、「法的クーデター」を目指すものではない。
中西氏は英国で国際政治・国際関係史を学んでおられる大家だが、近代憲法典のない英国は、マグナカルタ(1215年)や権利章典(1689年)などを含めて憲法(国体)と認識しているはずである。更にいえば、エドワード・コークなどが確立した英米の『法の支配』・『コモン・ロー(慣習法)』の観点からすれば、国体に立脚しない「悪法」は『無効』であるとみなされる解釈も成り立つであろう。
ならば、英米より古い国体を持つわが国が、神話・詔勅・慣習などから明治憲法に至る歴史的な『法』を『正統憲法』として解釈して、現行憲法を『憲法』として『無効』としても、必ずしも国際的不信を招くことに即繋がらないと思う。むしろ国内外に『法』秩序や『法理(道理)』を守る事を明確にした方が、国際的な信用を得る契機となると思うが如何だろうか。
また気になるのは、「2代の天皇がこの憲法下で在位して来られた事実も無効となれば、天皇の地位が揺らぐことにもなりかねない」と述べておられることである。天皇の地位と即位は現行憲法(占領憲法)に基づくものではない。天壌無窮のご神勅と万世一系の歴史と伝統、つまり『国体(正統憲法)』によるのである。現行憲法を「国民主権」に基づいて「改正(改悪?)」する方が、天皇の地位を危うくするというべきだろう。
以上、拙い論を述べさせて頂いたが、改正論であれ、無効論であれ、憲法論議を通じて日本の国柄が明確になれば喜ばしい限りである。さらなる議論の深化を期待したい。
付記
兵藤氏の「廃憲論」は改めて後日論じたいと思う。
柴田
2013-04-23
閣僚の靖国参拝
靖国神社の春季例大祭に際し、麻生副総理と古屋拉致担当大臣が参拝された。
古屋大臣のいう通り、我が国の政治家として当然の行為である。
国際法に照らしても、教育・宗教は近代主権国家の専権事項である。ましてや自由主義国家にあっては『信教の自由』は当然認められるべきである。
『法の支配』を掲げる安倍政権は、国際法の道理を弁えぬ、支那(中共)・韓国の内政干渉に断じて屈してはならない。
柴田
2013-04-22
2013-04-21
安倍総理、明治憲法現存確認宣言を!
雑誌別冊正論『安倍晋三「救国」宰相の試練』の中に、フリーライター谷田川惣氏が「日本人の心の規範となる憲法改正を」と題した論考を寄稿されている。
そのなかで谷田川氏は、男系皇統の護持を踏まえ、「『戦後レジームからの脱却』をスローガンとするなら、私は政府の公式見解を確定する『憲法談話』を出すことを求めたい。」と提言され、「安倍内閣の歴史的使命は単なる憲法改正だけにとどまらず、歴史・伝統を受け継ぐ正しい憲法改正に向けた道筋をつけることでもあるといえる。戦後六十年以上かけて分断されてきた戦前と戦後をつなぎ、世界で唯一、古代から続く日本の歴史を取り戻す事が戦後レジームからの脱却の道であり、『日本を、取り戻す』ことの第一歩であるといえるのではないか。」と述べる。更に現在の占領憲法96条改正の手続き論より、「三分の二であろうと過半数であろうと絶対に変えてはならない国の根本規範を明確にしておくことが大切ではないか」と指摘し、「日本人の規範となる憲法を制定しなくてはならない。それが大日本帝国憲法を正統に継承する憲法である。」と傾聴すべき見解を載せておられた。
谷田川氏の議論を踏まえ、私の所見を述べてみたい。
私は、まず安倍総理が『法の支配』を掲げておられることを重視したいと思う。『法の支配』においては、憲法や法律は、歴史・伝統・慣習から「発見」されるものであり、歴史を背負うことなき民(人民・大衆)が「制定」するものではないと考える。
『法の支配』の観点からすれば、占領憲法改正でなく、戦後においても『明治憲法』は生きていると『発見』し『確認』することこそが、保守派のとるべき憲法論だと思うのである。
したがって、安倍総理のとるべき道は、「憲法談話」の発表よりも、まず『明治憲法現存確認宣言(占領憲法無効確認宣言)』である。そして『明治憲法復原(復元)改正』こそが、「歴史・伝統を受け継ぐ正しい憲法改正に向けた道筋をつける」ことであり、まさに真の意味で「明治憲法からの正統性を継承すること」そのものだと私は思う。
更に付言すれば、「世界で唯一、古代から続く日本の歴史を取り戻す」にあたり重要な事は、天皇陛下が御詔勅を出される環境を整えることではないだろうか。詔勅の回復も、『天皇国日本』の『国体(正統憲法・歴史)』の回復と不可分である。この点がいわゆる「保守派」の憲法論議に欠落しているのは不思議なことである。「国民主権」という「非国体(憲法)原理」でなく、『法の支配』『国体』に基づいた憲法論議が為されることを願わずにはいられない。
安倍総理には、真の『戦後レジームの脱却』にむけて、焦ることなく着実に進んで頂きたいものである。
最後に、「絶対に変えてはならない国の根本規範」を明文化した、大日本帝国憲法の次の二ヶ条を改めて確認したい。
第一条
大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス
第二条
皇位ハ皇室典範ノ定ムル所二依リ皇男子孫之ヲ継承ス
柴田
2013-04-20
「両陛下、初の私的ご旅行」
4月15日に両陛下が長野県に往かれ、千曲市の「あんずの里スケッチパーク」な
どを訪問されたそうです。今回の1泊2日のご旅行は、80歳間近の両陛下にとって
初めての私的なご旅行だったそうです。公務を減らすことを望まれない天皇陛下
のご意向を尊重しながら、別の形で両陛下のご健康維持を考えた苦心の企画だっ
たそうです。この記事を読んで我が身のなんと気ままに自由に生活させて頂いて
居るものかと考えさせられました。今回の場所の選定に当たっては両陛下のご意
見が踏まえられ、両陛下はとても楽しみにされておられたそうです。多忙な両陛
下に今後もこう言う企画でリフレッシュされながら、お揃いで御長寿を全うなさ
いますことを、心から念じております。加納孝子
2013-04-18
教え子からの手紙
先日、中学・高校と私の勤務先の塾に通っていたE君が、某国立大学大学院修士課程修了と電機メーカー就職の報告に日本酒を持参して訪ねてくれました。E君は、大学院では超伝導の研究をしていて、二番で修了できたこと、外国で研究報告をしてきた事など近況を話してくれました。
努力家のE君は、かねてからエンジニアを目指して勉強に励んでおりました。私も「日本を担う立派な技術者になるんだぞ」と折りをみては言葉をかけていました。
仕事を終え、家に帰宅した私は、日本酒の箱開けました。すると一通の手紙が入っていたのです。
柴田 先生
愛国の精神は柴田先生に教わりました。今、日本は大変な状況です。電機業界が軒並み不調で売上ばかりか技術力まで中国や韓国に負けんとしています。これは持論ですが、この発展の停滞は日本人の国を豊かにしようという気合いが足らんせいではないかと思います。一つは先人のおかげで既に生活が豊かすぎるためにこの生活がずっと続くと勘違いしているため。もう一つは身のまわりの、目先の幸せばかりを重視して、大きな目で見た日本国全体の発展を軽視する若者が多いためと感じます。一度痛い目を見ないとボケはとれないかも知れませんが、私は日本人として、国民の生活を守るべく日本の技術力で以って世界に売りだし地位を守っていきたいと思います。頑張ります。国民の教育は柴田先生にお任せします。よろしくお願いいたします。…
皇紀2673年(平成25年)3月19日 E・K
久方ぶりに嬉しく感激した手紙でした。E君が社会でますます立派に活躍し、幸せになるよう祈るとともに、私も日本と世界のお役に立てる人材の育成に少しでも寄与できるように精進したいと決意を新たに致しました。
H25.4.18柴田
2013-04-16
総理が靖国神社に参拝できないで、日本を取り戻す事はできない!!
西村真悟先生サイコ〜!
近頃の国会質疑はなかなか見応えがあります。
今日の西村真悟先生の質疑は必見です!
近頃の国会質疑はなかなか見応えがあります。
今日の西村真悟先生の質疑は必見です!
2013-04-15
0.2秒以内の「はい」の返事
昨日、「あこがれ先生プロジエクト イン 埼玉」の中村文昭先生の講演テープ
を聞く機会がありました。人生に何の目標もないまま、バイトをしながらその日
ぐらしをしていたとき、ヤキトリ屋で隣に座った人に仕事仲間として誘われ、一
番初めの仕事は「0.2秒以内の『はい』の返事。」というものでした。これを
試されるために出来にくいもんだいを次次出されては開き直ってやっていく内に
自分が変わり周りの状況が変わっていったのです。仕事を頼まれたら、相手の期
待を上回れ、の教えは感動的な逸話に満ちていました。それを見終わって、うち
あわせをしましたが、皆が何の役を振り当てられても顔を見合わせて「はい」と
笑いながら引き受けて、全てがスムーズに運んだのでした。皆さんにお勧めした
い講演でした。 25.4.15加納
を聞く機会がありました。人生に何の目標もないまま、バイトをしながらその日
ぐらしをしていたとき、ヤキトリ屋で隣に座った人に仕事仲間として誘われ、一
番初めの仕事は「0.2秒以内の『はい』の返事。」というものでした。これを
試されるために出来にくいもんだいを次次出されては開き直ってやっていく内に
自分が変わり周りの状況が変わっていったのです。仕事を頼まれたら、相手の期
待を上回れ、の教えは感動的な逸話に満ちていました。それを見終わって、うち
あわせをしましたが、皆が何の役を振り当てられても顔を見合わせて「はい」と
笑いながら引き受けて、全てがスムーズに運んだのでした。皆さんにお勧めした
い講演でした。 25.4.15加納
2013-04-13
「明治初年の精神を復興の道標に」
3月15日付け産経新聞「正論」欄に、文芸批評家新保祐司氏が、東日本大震災の復興に際し、「明治初年の精神を復興の道標に」と題して、秀逸な論考を寄稿されている。
その中で新保氏は、「敗戦後、占領下に『配給された』憲法を、サンフランシスコ講和条約発効後も改正せずに、『戦後民主主義』の生ぬるい『空気』の中で、日本人という敗戦国の国民は、後生大事に押し頂いてきたのである。そういう屈辱的憲法を平和憲法と称して誇る日本人すらあまたいた。この日本人の自立心の弱さ、あるいはもっとたちの悪い自己欺瞞こそ、今日の日本人の精神的、道徳的たい落の淵源である。」と戦後日本の精神状況を鋭く批判する。その上で、「『明治初年の精神』こそ、今後の日本の精神的再建の道標となる」と提示する。何故なら「明治維新とは、まさに『神武創業』の精神によるものであり、『明治初年の精神』は『創業』の時代に相応しく根源的なもののるつぼであったからである」と説明されている。
だとするなら、東日本大震災の復興のみならず、国の礎たる『憲法』の論議にも『明治初年の精神』、つまり『建国の精神』が当然反映されてしかるべきであろう。
では、『神武創業の精神』とは何か。それは『八紘為宇(八紘一宇)』の精神に他ならない。
明治の御代では、まず『王政復古の大号令』で『諸事神武創業の始に原づき』と明記され、『五箇条の御誓文』には『万民保全の道を立てんとす』とあり、『公議』に基づた政治を行う事が宣言された。明治9年の『国憲起草の詔勅』には、『我が建国の体に基き』憲法を起草することが示された。明治22年2月11日発布の大日本帝国憲法の告文には、「八州民生ノ慶福ヲ増進スヘシ」、帝国憲法第1条には『大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス』と記され、『八紘為宇』の『建国の精神』が示された格調高い憲法が制定されるに至っている。因みに帝国憲法の起草者である伊藤博文・井上毅らは、日本の古典に深く学んでいる。
翻ってGHQ由来の配給された「占領憲法」には、『建国の精神』の欠片もないのは自明のことである。
では、現在巷で提起されている、いわゆる「憲法改正」論議や憲法草案は、果たして『我が建国の体』に基づいたものと言えるであろうか。残念ながら甚だ心許ないと言わざる得ないのが実情ではないだろうか。
「占領憲法」の「改正(改悪)」でなく、『建国の体(建国の精神)』に基づいた『明治憲法』の『復原(復元)改正』こそ真の『憲法改正』であることをここで改めて確認しておきたい。
最後に、サンフランシスコ講和条約発効の昭和27年に、昭和天皇が詠まれた御製をご紹介しておきたい。
古(いにしへ)の文まなびつつ新しきのりをしりてぞ国はやすからむ
H25.4.13柴田
2013-04-12
「憲法を主権者の手に取り戻そう」??
4月11日付け産経新聞「正論」欄に、日本大学教授百地章氏が「憲法を主権者の手に取り戻そう」と題して寄稿されている。
百地氏は「7月の次期参議院選挙後の議席状況次第では、国会の3分の1の壁を突破し、現実に国会によって憲法改正条項の改正が発議される可能性が出てきた。まさに改憲モラトリアムから完全に脱却する、絶好の機会が訪れつつあるわけである。今こそ憲法を、国会から主権者国民自身に取り戻すときではなかろうか。」と力説するが、果たしてそうであろうか?
明治憲法並びに国際法違反の「占領憲法」の制定過程が国民には広く周知されず、「占領憲法無効論」者も含めた公正な議論が国会(憲法調査会など)でなされていない現状での「占領憲法改正」へと踏み込むことは、性急な判断だといわざるを得ない。
憲法が『国体(国柄)』を表すものなら、憲法を「国民」にではなく、『天皇』に取り戻す(奉還する)のが筋であろう。そもそも日本の国柄は『君民一体』であり、『主権』概念を『憲法』に持ち込むことは相応しくない。
勿論「改憲」を主導する百地氏は、「憲法改正条件の緩和を手放しで歓迎するわけにはいかない」と理解されてもいる。なぜなら「改正手続きの緩和」は、「いわゆる『改悪』のためにも平等に機会を提供する」からである。首相公選・一院制・道州制(地方主権)など国家を混乱に陥れ、「皇室の存在を脅かしかねない」憲法案が有力な既存政党によって出される現状は「多少の緊張」どころでなく、深刻な問題である。
占領憲法改正の96条項改正は『凍結』し、今は寧ろ「占領憲法・典範」に国柄に即した解釈や法整備を施し、それを定着させることを優先すべきである。
たとえば自衛隊を国際法・慣例に即した『準軍隊』にする自衛隊法改正や集団的自衛権の解釈是正、旧皇室典範復元まで現皇室典範をいじらずに旧宮家を復活させる「臨時特別措置法」を制定するなど為すべき事は沢山ある。
百地氏は、「もし今回の好機を逃すと、二度と改憲の機会は巡ってこないのではないのではないか。過去を振り返ると、そのような悲観的な思いに駆られる。そしてもしそうなれば、今後いくら理想を叫んでも、これまでの67年間と同様に、結局は条文の一字一句の修正も叶わないまま、占領憲法体制が続き、その下でわが国はもがき続けるしかあるまい。」と熱き憂国の念から憂慮なさる。
しかしその時こそ、『占領憲法・典範無効確認、明治憲法・典範復元改正』の真の『憲法改正』の出番ではないかと訴えたい。何故なら『占領典憲無効確認決議』は国会議員の過半数の議決か首相の宣言で可能だからだ。『正統憲法復元改正』の王道をしっかりと歩んで行こう。
H25.4.12柴田
2013-04-11
教科書検定見直しへ
待ちに待っていた『教科書検定見直しへ」の記事が4月11日の産経新聞のトップにありました。「近隣諸国条項」の撤廃を考慮された首相の発言のようです。
下村文部科学相も、「この國に生まれてよかったと思える歴史認識を教科書に書き込むことが必要だ。」と強調された、と、ありますが、まさに我が意を得たりで、大喜びしています。早く『自虐史観の呪』縛を解いて、改正された教育基本法の教育目標である、伝統文化の尊重や愛国心や郷土愛の精神に満ちた,真に日本の誇らしい教科書を作り、愛国教育が実現されることを心から願っております。
H25.4.11加納
2013-04-10
メタンハイドレートからの天然ガス生産試験に成功 海底からは世界初
以下、産經ニュースから転載
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経済産業省は12日、愛知県沖の深海で進めていた次世代エネルギー資源「メタンハイドレート」から天然ガスを取り出す生産試験で、ガスの生産を確認したと発表した。海底からの試験成功は世界初で、将来の国産天然ガス資源として期待される。試験は、経産省資源エネルギー庁の委託を受けた独立行政法人石油天然ガス・金属鉱物資源機構(JOGMEC)などが、同日午前5時40分から地球深部探査船「ちきゅう」を使って実施。愛知県の渥美半島沖の水深、約1000mの海底から約330m掘り進んだメタンハイドレートの層で、水とメタンガスに分解して採取する作業を始め、同9時半ごろにメタンガスの生産を確認した。今後、約2週間に渡り、日量で数千~数万立方メートルの試験生産を見込んでいる。
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というわけで、先月13日にこれが報道されて、大変喜ばしく、世界的なニュースだ!思いましたが、それと同時になぜに日本海側でやらんのか!と言いたくなったのであるが、先日4月9日またこんな報道がありました、以下産経ニュースから転載
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経済産業省資源エネルギー庁が、日本海側の資源開発を本格化させる。新潟県・佐渡島の南西沖約30キロの海底で、4月中旬から石油と天然ガスの埋蔵量調査に着手。6月下旬から数日間にわたって海底下から石油・天然ガスを取り出す産出試験を実施する。また、次世代エネルギー資源「メタンハイドレート」についても、今夏にも佐渡沖と石川県沖で資源量を調査する予定だ。
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素晴らしくないですか?大変いい方向へ向かっているんじゃないっすか?
メタンハイドレートが実用化されると、世界が変わって行きますよ!それくらいの事ですよ!原発反対を叫ぶ方々は、それならば、代替となるこのメタンハイドレートの推進を促すデモ行進でもやってもらいたいわけです!
みなさん、日本の将来は明るい!メタンハイドレート推進して、資源大国日本を実現しよう!
H25.4.10實吉
2013-04-10
占領法規にすぎない憲法
「占領法規にすぎない憲法」という記事が4月9日の産経新聞にありました。主権が回復する前に、なぜ日本は憲法を制定してしまったのか。「占領法規」にすぎないという現実こそ、もっと見据えるべきだろう、と、ありました。28日の主権回復の日に、日本が受けた屈辱がいまだに続いていることを考えるべきだと言われています。同じような状況下で、ドイツは「基本法」を作ったそうです。再び米国の脅威にならないようにと、日本弱体化を盛り込んだ現法憲法をいまだに後生大事にかかえていては侮りを受けるのが当たり前と言われています。それだからこそ中国、韓国、北朝鮮などなどの脅威にさらされているのに手も足も出せずにいます。今こそ本来の明治憲法を復元し、時代に合わない部分は改正して日本人のための立派な憲法で日本の國を守っていきたいものです。
H25.4.10加納
2013-04-10
原発事故後の汚染水
今、テレビでも新聞でも原発事故後の汚染水の漏洩を危機感を持って報道していますが、4月9日の産経新聞で紹介されていたように、日本に汚染水を浄化できる、日本ポリグルという会社などいろいろ実力のある会社があり、是非協力したいと言っているそうなのに、なぜ、関係者は汚染水を浄化せずに、汚いままで、ただあっちにやったり、こっちに移したりを繰り返しているのでしょうか?きれいにしてしまえば何の問題もなくなってしまうでしょうに。きっと予算の問題があるでしょうが、こういう問題こそ國が復興予算を組んで実行してもらいたいものです。
H25.4.10加納
2013-04-09
「世界1の技術を生かせ」
「世界1の技術を生かせ」という趣旨の記事が4月9日の産経抄にありました。
福島第1原発事故の直後、無人ロボットが採用されたのは、世界1の技術を誇る日本の物でなく米国製のロボットだったそうです。高濃度汚染水処理の面でも、日本ポリグルという小さな会社が世界的に優れた水処理技術で、協力しようとしたが、仏アパレル社が採用されてしまったそうだ。事故の処理を東電だけに押しつけ、批判しているだけでは、嫌気のさした貴重な技術者が、中国や韓国に引き抜かれて、原発技術が流出してしまうそうです。今こそ国産技術を結集して国民1丸となって復興を目指したい物ですね。
H25.4.9加納
2013-04-08
「漠然と存在する宇宙」と、それを感じ取ってきた古代日本人
日本の神話「古事記」の始まりはこうである。
「天地の始めの時、高天原になりませる神の御名は、天の御中主の神」
「生長の家」創始者であられる谷口雅春先生は、この一文をこう解釈しておられる。
「宇宙(現象世界)のはじまる前の創造神・天の御中主の神は、高天原(実相世界:天界)に偏在し、神の意識を天界に鳴り響かせていたである」
さらに、解釈は次のように進む。
「そして、神の響きの中から宇宙が生まれ、現象世界(物質より成る世界)が成立したのである※1」
この一文を著者が初めて読んだとき、真っ先に思い浮かんだのが、佐藤勝彦先生(東京大学名誉教授)が提唱された宇宙のインフレーション理論であった。
インフレーション理論では、宇宙の誕生について、真空の揺らぎ(波動の位相・周波数に微妙に生じる差)に触発されて宇宙が生まれ、生まれてから10のマイナス44秒後の急激な膨張(インフレーション)、さらに、10のマイナス34秒後のビッグバンを経て現在の姿に成長した、と、考えられている*2。
まさに、神の響き(真空の揺らぎ)の中で今の世界(宇宙)が生じたという、神話の世界と最新の物理学の世界の融合をみた思いがし、宇宙の開闢(かいびゃく)を悟っていた古代日本民族の直観力に、筆舌に尽くしがたい衝撃を受けたのを憶えている。
天地創造(宇宙の誕生)を、そのように捉えてきた古代日本人だが、そんな彼らをとりまく神々は、それぞれ役割はあれど、特別に存在意義を問われることはなく、その全てが、天界に遍満する天の御中主の神に帰結している。かの天照大神も、乱暴な言い方をすれば、伊邪那岐の神がただ顔を洗った時に生まれた訳で、特別に創意があって生まれたという訳ではないし、他の神々も、その誕生の経緯は似たり寄ったりである。言うなれば、「何となく」生まれ、「何となく」存在しているのが日本の神々の特徴であり、その代表格が、「何となく」偏在している天の御中主の神であろうか。
最近、ディスカバリーチャンネルを視聴していたとき、ある宇宙ドキュメンタリー番組で、登場した宇宙物理学者達が口を揃えて唱えている言葉が印象に残った。曰く、「宇宙は漠然と生まれ、漠然と存在している」、と。
その言葉と相まって、思い出したのが、過去に聴いた著名な物理学者が発した言葉、「宇宙の発現には神を必要としない」である(この言葉を発したのが、誰あろうスティーブン・ホーキング博士)。
これらの言葉に含まれる科学者たちの思いは、概ね次のようなものであろうか。
「宇宙には誕生から存在に至るまで、神は存在しない」
中世の教会による弾圧・偏狭な神学者の存在に辟易させられてきた欧米の物理学者たちの、反抗心に似た思いも、これらの言葉の中から感じることが出来る。
もちろん、このような理論は、創造神を唯一絶対の神と崇める一神教の信徒たちには、到底受け入れられるものではないであろうが...
ところが、現代物理学者たちが唱える「漠然と存在する宇宙」は、「何となく」存在・偏在している神々を感じ取ってきた日本人には、特に抵抗もなく受け入れることができる。何せ、日本の神々は、言い方を変えれば皆「漠然と存在」するのだから、それこそ宇宙の始まる前から宇宙が出来て後の現在に至るまで、いくらでも神々が存在できる。
ここでも、「漠然と存在する宇宙」を、「何となく存在する神々」として認識してきた古代日本民族の直観力に驚嘆させられる。
ちなみに、日本の神道にも似た宇宙観は、古くはインドのヒンドゥー教や仏教にも観られ、かつてカール・セーガン博士がヒンドゥー教の宇宙観についてテレビ番組「コスモス」で解説していたのを憶えている。
進化論も含め、案外現代科学というものは東洋的な宗教観にマッチするようである。
しかし、日本の神道・神話に観られる宇宙観(宗教観)で特筆すべきは、これが国家・社会のシステムとして現代まで生き続けていることである。
それを最も顕著に現しているのが、言わずと知れた御皇室と天皇陛下の存在である。
御皇室もまた、神代の時代から現代に至るまで、日本人の生活の中に「何となく」存在し、そして「何となく」敬われている。そのことが、権力闘争と国家の存亡を繰り返してきた他の国々の権力者と決定的に異なるところであり、かえって尊く、かけがえのない存在となっている所以なのである、と、宗教学者島田裕巴先生が、御皇室と天皇陛下の存在意義ついて述べている※3。
この「何となく存在する」というのは、日本人の感覚でなければ解釈の難しいところだと思うが、そのような古代より続く日本人の宇宙観があったればこそ、神代に連なる系譜を今に引き継ぐ御皇室・天皇陛下を中心にいただく日本という国がこの世界に現されてきたのではないか、そんなふうに思えるのである。
現在、世界には192の国家があると言われている。しかし、現在に至るまで2000年以上の長きにわたり存続・繁栄してきた国家は、日本を除いて他にない。
その繁栄を支えてきたのが、古代日本人の悟ってきた宇宙観であると考えたならば、その宇宙観を記し伝えてきた神話とは如何にありがたく尊いものであるか、また、そこに素直に(直感を研ぎ澄まして)学ぶことが如何に大切なことであるか。日本の歴史を学び、また、将来の国の発展を願うほどに、そのことを強く思う次第である。
※1 谷口雅春著「限りなく日本を愛す」
※2 アットホーム(株)「こだわりアカデミー」,「宇宙創生を解明する”インフレーション理論”」http://www.athomeacademy.jp
※3 別冊宝島「天皇のすべて」
H25.4.8 成瀬
2013-04-08
日本を愛してくれている国があることを!
わたしも首相官邸のfacebookで発信している
インドネシアの学生たちが震災後に歌ってくれた
「桜よ~大好きな日本へ」を見ました。
主人の転勤に伴い約7年インドネシアのジャカルタに
住んでいました。そのせいかとても興味深く見始めたのですが
彼らの笑顔で歌っている笑顔を見て涙がこぼれてきました。
「ありがとう!こんなにも日本のことを思ってくれているなんて。」
と言う気持ちでいっぱいになりました。
字幕のインドネシア語もとてもよく書かれていました。
場所は日本人学校の体育館でした。校歌と校章が映ていました。
子どもが通っていたのです。
人なっつこいインドネシア人ですが、日本語は難しいと言って
なかなか喋らないのですがよくみんな覚えたと感心するやら感動するやら
涙が止まりませんでした。
でもどうしてもっと早くに報道されなっかたのかと残念でなりませんでした。
これを見たら、東北の人たちはどんなに勇気づけられたことでしょう。
私もインドネシアの友人にお礼を言いたかったです。
インドネシア人はとても親日的で、とても尊敬してくれるのを肌で感じてきました。
インドネシアだけでなく多くの国の人たちが日本を日本人好きで尊敬してくれています。
それは海外に出ている日本人の多くがその国の人の為に一生懸命働いているからなのですね。
韓国も中国も政府主導で反日を叫んでいる事が悲しいですね。
とにかく多くの人に見ていただきたいです。日本を愛してくれている国があることを!
H25.4.8 崩田
2013-04-08
10秒だけ朝掃除
「10秒だけ朝掃除」という記事が、4月4日の産経新聞に載っていました。その見出しを見て、え、10秒だけでいいの?と、部屋が散らかる私は飛びつきました。掃除道を提唱される今村さんが、「10秒だけでも朝、掃除を続けてみてください。一ヶ月後は習慣になっていますよ。」と、いわれています。10秒朝掃除の基本行動は
1,窓を開けて換気をする。
2,ものを捨てる。
3,掃除機などでほこりを取る
4,磨く。
5、物の位置を直す。
の5つ。1はすぐ出来ます。2は少し難しいけれど、とにかく10秒ずつやってみようと思います。今に部屋も心もピカピカになっているかもしれません。
H25.4.8加納
2013-04-02
美しい日本語
『美しい日本語を未来に引き継ぐ』という「文語の苑」代表幹事、愛甲次郎さんの記事を学士会会報で興味を持って読みました。祖国とは国語であり、言葉の基本は文章語である。と、あります。日本語には、『文語』と『口語』の二つのモードがあって『文語』の持つ言葉エネルギーは溢れるほどの強さだそうです。実際に世田谷区では「日本語」という授業を行って、子供達は古文、漢文をたちまち覚えて暗唱しながら帰るそうです。「その世界には、登校拒否や学級崩壊は全く無関係です。」と、校長先生がおっしゃったそうです。幼少時代から大きな声を出して、古典を覚えることは、古今東西のエリート教育の基本だそうです。私達の『親子寺子屋』もこれと同じような趣旨で世田谷の「日本語」の教科書を使って学習しています。
H25.4.2加納
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