2012-07-19
「本日ただいま誕生」を読んで
最近の世相を見るにつけ、戦後の教育の故か日本の心、精神文化が廃れてしまっていることを嘆いていました。そんな時東北大震災が起こりました。千年に一度と言われるあの惨状の中、被災者の皆さんは秩序正しく互いに譲りあい、助け合う姿に世界中の人が驚きました。
正に日本の心・武士道精神が発露され、DNAを自覚させられたのでした。日本人として誇りに思い、うれしくもあり、またDNAは簡単に失われるものではないと安堵いたしました。
最近何気無く主人の本箱の中から手にして小沢道雄著「本日ただいま誕生」を読みました。
日本人のやさしさ、逞しさ、我慢強さ、そして生命尊重、赦しの心に感動しました。
小沢氏は戦争が終わった後ソ連軍により、シベリアに強制連行され、強制労働をさせられたのです。毎食マッチ箱くらいの雑穀パン1個と少しの塩ニシンを入れて煮出した、実のない味もない水の様さスープ1杯で重労働させられるのですから、たちまち体重が半分になったそうです。体力が衰えればちょっとしたことで病気になる一旦病気になればなかなか癒らない。病気になっても働ける間は、むりやりに働かせる其の上で、どうにも使いものならなくなると、ソ連軍に管理されている満州の牡丹江の日本軍の陸軍病院に返されるのです。
11月半ば厳冬の最中、使いものにならなくなった総勢500名が暖房のない貨車に詰めこまれました。気温は氷点下40度~50度である。ましてや日本兵は敗戦当時の夏服のままです。一日目、2日目あたりまでは、凍らないように頑張っていても、食べるものもなく、3日目、4日目になると次々と冷凍人間になってしまうのです。牡丹江の病院についたときは半数以上の人が死んでいったそうです。
ようやく病院についてもまともな人はいなく、凍傷になり片足切断、両足切断されるのです。しかも病院のなかの目ぼしいものはソ連軍が奪い持ち出しているのだから、施術用具も薬も無い中での治療です。それは惨憺たるものです。涙して読みながら、吾らが先輩たちが、これほどまでに痛めつけられたことに、義憤と悲しみで胸が痛みました。
小沢さんは生き延びて病院にたどり着いたのですが両足脛のまん中から切断されたのです。麻酔もされず、2時間かけて肉が切り落とされ、骨は鋸でごしごしと切られ、声も出ない言い表せない痛みだったそうです。片腕、両足を無くして、いろんな苦難に合いながら、何とか日本にたどり着かれたのです。
帰国してからもいろんな思いに苦悩し、観音経にすがり祈りに祈っているとき、「苦しみの原因は比べることにある。比べる心のもとは27年前に生まれたという事だ。27年前に生まれたという事をやめにして、今日生まれたことにするのだ。両足切断したまま今日生まれたのだ。今日生まれたものには一切がまっさらなのだ。「ようし!俺は本日ただいま誕生したのだ」こうして新生した小沢さんは、
生きるためにいろいろ事業をはじめ失敗したり成功したりを繰り返し、ついに辿り着いたのが少年の頃寺に養子に入り修行していたことから、托鉢僧になり「一、微笑を絶やさない。二、人の話を素直に聞こう。三、親切にしよう。四、絶対に怒らない。」という事を肝に決めて行脚し、困っている人々を救われたのです。最後は関ヶ原の妙応寺の和尚となり、皆さんに慕われ生涯を終えられたのです。
それにつけても近隣諸国の国々は善良な日本人をいつまで痛めつければ気が済むのでしょう。六十万人の人達が終戦後それこそ強制連行されて、シベリヤに連れて行かれ、理不尽極まりなき、過酷な目にあわせ、六万五千の人を死に至らせながら、日本人がおとなしくしていることをよいことに、未だに、謝罪も賠償もしないロシアの不埒な行為は許し難く、我慢がなりません。北方領土も不法占拠しておきながら、ロシアの領土だとぬけぬけと言い放つ態度。国際世論に訴える方法はないのでしょうか。政治家の皆さん内輪もめなどしている場合ではありません。今こそ立ち上がって凛として外交を進め、領土も拉致者もとりもどして!!と切に願って已みません。
平成24年7月9日 坪田陽子
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