2012-07-21
現憲法無効論
平成24年6月13日東京都議会に於いて土屋敬之都議の現憲法無効の見解を質問したのに対し、石原都知事は明確に「現憲法は無効であり、バカな女とは(現憲法)すぐにすぐに別れるに如くはない。」「現憲法は無効なのであって破棄する必要はない。単に袖を振って別れればよい。」という回答をしました。この回答は都議会の議事録にしっかり残ることになり、今まで公式文書に現憲法無効が残されていなかったことに対する大きな前進になります。とこのように土屋議員が述べています。正に快哉快哉。
憲法改正派の考え方
1、
現憲法96条の改正 この条項は3分の2の国会議員の賛成が必要なのを過半数で改正を可能ならしめようとするもの、現状の国会議員でも200名くらいしか賛成していない。左派の人たちは条文改正論が多数である。
2、
現憲法は平和憲法、国民主権という美名のもと、国の生存は他国に依存し、国民主権という言葉に酔い、自分たちの考えを代表に依存している。これが民主主義と言われる政治。
3、
現憲法は日本の力を殺ぐ為に条文と条文で争わせている。家庭でも争っている家庭は力が発揮できない。このような考え方は条文のいたるところに見られる。日本人の魂のない押しつけられた唯物憲法を後生大事に戦後60年余りも守ってきた国民性は一体いかなるものなのでしょうか?一刻も早く現憲法を破棄宣言することが喫緊の課題であります。最近の野田首相は国会答弁で自助、共助、公助を言葉にしていますが、党利、党略に利用していないか、その正体を確認しなければならない。
日本的思惟に於ける「公」について・・・・谷口雅春著私の日本国憲法論より、日本の伝統的思考においては「公」とは「大親家」であった。われらの生命は大生命より出で、大生命を大親としてそこより発して国家の形成となり、祖先、父母を通して大生命の流れを汲んで個人に至るのである。大親なる大生命(天照大御神)のいのちの流れは国家の命となり、祖先の命となり、父母の命となり、子孫の命となる。ここに大生命→国家の生命→個人の生命は、一貫して一体であり「公」に尽くすとは自己の生命の本源の顕現のうちうち最も本源的なるものに尽くすことになるのであります。ところがこの占領憲法に於いては「公」(公共)とは個人主義者の集団なるただの社会をいみするだけであり、「公共のために尽くす」ことは必ずしも国家の興隆のために尽くすことではなく、国家をつぶしても「吾ら全般の福利の為に尽くす」という意味になっている。後略
先般大東亜戦争についてマッカーサーはアメリカ合衆国上院議会軍事外交合同委員会でお行われたS26,5,3証言内容が東京都の高校教科書に記載されることになった。その内容によれば日本は絹産業以外には固有の産物はほとんど何もないのです。彼等は綿がない、羊毛もない、石油がない、錫がない、ゴムがない、その他実に多くの原料が欠如している。そしてそれら一切のものがアジアの海域には存在していたのです。もしこれらの原料を断ち切られたら、1千万~1千2百万の失業者が発生するであろうことを彼等は恐れていました。したがって彼等が戦争に飛び込んでいった動機は大部分が安全保障の必要に迫られてのことだった。(原文)と証言しています。
日本は敗ける戦争とわかっていて戦ったのである。しかし敗戦したがゆえに日本的なものは徹底的に排除され、マッカーサー、ケーディス一派により徹底的に宣伝統制洗脳されて昭和27年4月28日ポツダム宣言受諾で独立したにもかかわらず、現憲法に拘束されて又新しいその続きが始まったのである。
共産党の野坂参三議員も「天皇の発議ではない」「修正できないものを修正している」から無効であると議会で発言している。また大東亜戦争は自衛戦争であり、正義の戦争とも言っている。
無効な現憲法は他国によって存在する日本の平和と国民主権という美名のもと、この憲法を改定して永続させようとする大きな動きがある。だから尖閣諸島も、竹島も、北方4島も、危うい状態にあるではないか。大和の国日本の進むべき道をはっきりと定め国民に提示せよ。それが政治の役目ではないか。
一旦ことが起こってから右往左往するのではなく、我が国本来の世界唯一の強く逞しい精神を発揮して祖国の再生に踏み出そうではありませんか。・・・
同志の皆様、占領憲法に別れをつげて香りの高い大日本帝国憲法を心に認識しようではありませんか、すなわち大日本帝国憲法は生きている。
平成24年7月21日 菊池
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2012-07-21
尖閣諸島問題
昨年の「週刊ポスト」ですでに明らかにされていた尖閣諸島の地図や文献が今発見されたもののように産経新聞の7月17日と7月18日両日のトップ記事に載りましたが、1960年北京発行の「世界地図集」や1965年台湾と中国の共同発行の「世界地図集」にはっきり日本領として記載されていると水間政憲氏がこの地図を発掘されて発表されておりました。
「明の上奏文」にしても遭難民救助の「感謝状」にしても動かぬ証拠がはっきりしているのですから、国を守る立場の首相ははっきり世界に示して国を守るべきです。
石原都知事が国外で尖閣買収の話を出したから日本のマスコミに揉み消されずに世界に伝わって、日本の政府を動かしたのです。是非日本の実効支配が実現するまで石原さんに頑張ってもらいたいし、その石原さんを資金面から全国民が支えて行って欲しいです。
平成24年7月21日 加納
2012-07-19
「本日ただいま誕生」を読んで
最近の世相を見るにつけ、戦後の教育の故か日本の心、精神文化が廃れてしまっていることを嘆いていました。そんな時東北大震災が起こりました。千年に一度と言われるあの惨状の中、被災者の皆さんは秩序正しく互いに譲りあい、助け合う姿に世界中の人が驚きました。
正に日本の心・武士道精神が発露され、DNAを自覚させられたのでした。日本人として誇りに思い、うれしくもあり、またDNAは簡単に失われるものではないと安堵いたしました。
最近何気無く主人の本箱の中から手にして小沢道雄著「本日ただいま誕生」を読みました。
日本人のやさしさ、逞しさ、我慢強さ、そして生命尊重、赦しの心に感動しました。
小沢氏は戦争が終わった後ソ連軍により、シベリアに強制連行され、強制労働をさせられたのです。毎食マッチ箱くらいの雑穀パン1個と少しの塩ニシンを入れて煮出した、実のない味もない水の様さスープ1杯で重労働させられるのですから、たちまち体重が半分になったそうです。体力が衰えればちょっとしたことで病気になる一旦病気になればなかなか癒らない。病気になっても働ける間は、むりやりに働かせる其の上で、どうにも使いものならなくなると、ソ連軍に管理されている満州の牡丹江の日本軍の陸軍病院に返されるのです。
11月半ば厳冬の最中、使いものにならなくなった総勢500名が暖房のない貨車に詰めこまれました。気温は氷点下40度~50度である。ましてや日本兵は敗戦当時の夏服のままです。一日目、2日目あたりまでは、凍らないように頑張っていても、食べるものもなく、3日目、4日目になると次々と冷凍人間になってしまうのです。牡丹江の病院についたときは半数以上の人が死んでいったそうです。
ようやく病院についてもまともな人はいなく、凍傷になり片足切断、両足切断されるのです。しかも病院のなかの目ぼしいものはソ連軍が奪い持ち出しているのだから、施術用具も薬も無い中での治療です。それは惨憺たるものです。涙して読みながら、吾らが先輩たちが、これほどまでに痛めつけられたことに、義憤と悲しみで胸が痛みました。
小沢さんは生き延びて病院にたどり着いたのですが両足脛のまん中から切断されたのです。麻酔もされず、2時間かけて肉が切り落とされ、骨は鋸でごしごしと切られ、声も出ない言い表せない痛みだったそうです。片腕、両足を無くして、いろんな苦難に合いながら、何とか日本にたどり着かれたのです。
帰国してからもいろんな思いに苦悩し、観音経にすがり祈りに祈っているとき、「苦しみの原因は比べることにある。比べる心のもとは27年前に生まれたという事だ。27年前に生まれたという事をやめにして、今日生まれたことにするのだ。両足切断したまま今日生まれたのだ。今日生まれたものには一切がまっさらなのだ。「ようし!俺は本日ただいま誕生したのだ」こうして新生した小沢さんは、
生きるためにいろいろ事業をはじめ失敗したり成功したりを繰り返し、ついに辿り着いたのが少年の頃寺に養子に入り修行していたことから、托鉢僧になり「一、微笑を絶やさない。二、人の話を素直に聞こう。三、親切にしよう。四、絶対に怒らない。」という事を肝に決めて行脚し、困っている人々を救われたのです。最後は関ヶ原の妙応寺の和尚となり、皆さんに慕われ生涯を終えられたのです。
それにつけても近隣諸国の国々は善良な日本人をいつまで痛めつければ気が済むのでしょう。六十万人の人達が終戦後それこそ強制連行されて、シベリヤに連れて行かれ、理不尽極まりなき、過酷な目にあわせ、六万五千の人を死に至らせながら、日本人がおとなしくしていることをよいことに、未だに、謝罪も賠償もしないロシアの不埒な行為は許し難く、我慢がなりません。北方領土も不法占拠しておきながら、ロシアの領土だとぬけぬけと言い放つ態度。国際世論に訴える方法はないのでしょうか。政治家の皆さん内輪もめなどしている場合ではありません。今こそ立ち上がって凛として外交を進め、領土も拉致者もとりもどして!!と切に願って已みません。
平成24年7月9日 坪田陽子
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