2017-11-13

提言「退位特例法」の無効廃止と帝國憲法・正統皇室典範の復元を

提言 「退位特例法」の無効廃止と帝國憲法・正統皇室典範の復元を
                            黎明教育者連盟講師 柴田 顕弘

 今回、平成二十八年八月八日の今上陛下の「象徴としてのお務めについての天皇陛下のお言葉」を受けて六月九日に「天皇の退位等に関する皇室典範特例法」(以下「退位特例法」)が国会で成立しましたが、この法案にはいくつかの問題点があります。
まずこの「退位特例法」の第一の問題点として、皇室伝統に基づかない言葉が使われてされていることが挙げられます。『譲位』とすべきところを「退位」としている点で、天皇陛下及び皇室に対する敬意が全く感じられません。
皇后陛下は、天皇陛下のお言葉が発せられたのち、メディアで「生前退位」という言葉が流布されていく現状に、深いご憂慮とご懸念を明確に示されました。それにも関わらず、「生前退位」「退位」なる言葉を使い続け、「退位特例法」という法律まで成立させた政治家・知識人・メディア関係者は、皇室に対する不遜不敬を働いていることを猛省すべきです。
さらに『譲位』は連綿とした皇位継承を前提とした伝統的な言葉であるのに対し、「退位」には、皇室伝統で使われたことなく、しかも最終的に天皇制を廃止するという含意がある言葉だということです。
その他に、今上陛下が譲位なされたあとには、美智子皇后陛下は「皇太后(こうたいごう)」ではなく「上皇后(じょうこうごう)」と称されて、秋篠宮文仁親王殿下は「皇(こう)太(たい)弟(てい)」とより明確に規定されず、「皇嗣(こうし)」とのみ位置付けられます。
とくに注意すべきは、「皇太子」と同位である「皇太弟」を用いない有識者会議や法案作成者の意図はどこにあるかということです。
一つの仮説としては、秋篠宮文仁親王殿下を「皇太弟」でなく「皇嗣(こうし)殿下(でんか)」と御呼びする一方で、皇太子徳仁親王殿下の受禅(じゅぜん)(受禅(じゅぜん)践祚(せんそ))・即位後の「皇太子」の御位が空位状態なることを口実に、愛子内親王殿下を皇太子とし、将来の女性天皇・女系天皇を成立させるための布石として国会で皇室典範改定を謀ろうとしているのではないかということです。
現行皇室典範の第十一条第二項には「親王(皇太子及び皇太孫を除く。)、内親王、王及び女王は、前項の場合の外、やむを得ない特別の事由があるときは、皇室会議の議により、皇族の身分を離れる。」とあり、皇太子・皇太孫以外の皇嗣(こうし)殿下(でんか)であれば「皇室会議の議」によって、「皇族の身分」を離れさせる可能性がでてくる余地もある、と解釈されかねないと思います。そもそも皇室の事を論じる「皇室会議」の構成議員十名のうち、天皇陛下を除く皇族が二名しか出席しないこと自体がナンセンスです。
第二点目として「退位特例法」の作成成立過程自体も問題でした。
政府与党は、今上陛下の御譲位に際して、国会が喧々諤々の議論となり国論が割れることを避け、野党と根回して全会一致の賛成を経て表面的に穏便な法律成立を優先させました。
野党は、この与党の姿勢の間隙をついて、法案に付帯決議に「女性宮家」なる言葉を導入させたのでした。
そもそも、皇室伝統の解体に繋がる「女性宮家」の導入を意図し、いわゆる「天皇制」を廃止することをテーゼとする政党が皇位継承に関する議論に参加すること自体が、国体破壊を促す意図をもつものであることは自明の理というべきでしょう。従って与野党の妥協の産物として成立した「退位特例法」は皇統護持の観点とは真逆の法律にならざるをえないのです。しかも今回の「退位特例法」をめぐる議論において菅官房長官は以下のように答弁しています。「法案の作成に至るプロセスや、その中で整理された基本的な考え方は、将来の先例となりうる」つまり「退位」や付帯決議に明記された「女性宮家」の考え方は、今後の皇室典範改定の議論・法案の「先例」になるという解釈の余地を残した見解を表明したことになります。すでに今上陛下一代限りの『退位特例法』の『特別例外の措置法』という意味がすでに捻じ曲げられている実態を認識しておく必要があると思います。
谷口雅春先生は、ご生前次のように警告されておられました。
「偉大なる芸術家は、鋭敏に対象の生命を観る。そして勇敢に、その生命そのものを筆端に縦横に走らせてそれを描く。偉大なる政治家は、まず国家の生命を把握する。そして国家の生命を生かすために今何を為すべきかを自覚して、勇敢に、芸術家が縦横に筆を走らす如く、縦横無尽に躊躇なく、他人や他党の顔色を見ることなく、断行すべきことを断行するのだ。(中略)
 譲歩と妥協による一時的平和ムードで現行の憲法を温存しておく間に、病菌の如くビールスの如く、赤化思想が国内に浸透して、病原体が人体を滅ぼす如く、国家を滅ぼしてしまうのである。」(谷口雅春『私の日本憲法論』)
まさにわが国の現状は、占領憲法を「温存」しつつけてきた結果、国家滅亡への道を歩みつつあるのであり、今回、政府与党が野党との「譲歩と妥協」によって、一連の「女性宮家」付帯決議付「退位特例法」を成立させた結果、更なる国体破壊へ繋がっていくことをも鋭く洞察したお言葉であるといえましょう。
もしも安倍総理が「偉大なる政治家」たらんとするならば、「縦横無尽に躊躇なく、他人や他党の顔色を見ることなく」、現行の占領憲法及び皇室典範の無効を確認し、大日本帝国憲法と正統皇室典範(明治皇室典範)の復元宣言を行うのが、本来とるべき道であったと思われます。なぜなら、皇室伝統・慣習法に基づく『法の支配』の観点からすれば、「悪法は無効なり」であり、わが国の主権が失われた時期に制定された正当性のない占領憲法や占領典範、それらに立脚した「退位特例法」は必然的に無効といえるからです。
では、ここで現行の占領憲法と帝国憲法を比較対照しつつ、問題点と今後の施策について述べたいと思います。。
日本国憲法(占領憲法)
第一条 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。
第二条 皇位は、世襲のものであつて、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する。
占領憲法第一条・第二条を前提とする限り、現在生きている「主権の存する」国民が「総意」の名の下に、歴史伝統や皇祖皇宗・祖先の遺志を無視して天皇の地位を変えることになり、また今回の「退位特例法」のように、国会の議決による法律に堕した皇室典範をいかようにでも改定・改悪し、皇室廃絶・國體破壊を進めて行く帰結をもたらすでしょう。
次に、帝国憲法の第一条・第二条・第七十四条を挙げてみます。
大日本帝国憲法(明治憲法・正統憲法)
第一条 大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス
  第二条 皇位ハ皇室典範ノ定ムル所ニ依リ皇男子孫之ヲ継承ス
  第七四条 皇室典範ノ改正ハ帝国議会ノ議ヲ経ルヲ要セス
帝國憲法第一条では、天皇の永続が条文で確約されていますし、第二条については、伊藤博文公の『帝国憲法義解』よると、皇室典範を「皇室の家法」と位置づけ、「将来に臣民の干渉を容れざることを示すなり」と説明されていました。つまり皇室典範は、本来「臣民(国民)」の干渉は受けない至高の『法』であり、憲法と同格の位置付けで現在のような「法律」ではありませんでした。
因みに明治皇室典範の第一条は「大日本国皇位ハ祖宗ノ皇統ニシテ男系ノ男子之ヲ継承ス」とあり、『皇室典範義解』には「皇統は男系に限り、女系の所出に及ばざるは皇家の成法なり」と解説がなされ、皇室の歴史と教訓を踏まえて、皇位継承は男系男子で女系は認めていませんでした。
第七十四条については、「皇室典範は皇室自ら皇室の事を制定する」と「帝國憲法義解」では解説がなされ、皇室の自治と自律が明確に保障されていたのです。
これらの点を踏まえれば、今回の今上陛下の御譲位や安定的な皇位継承に関しても、国会の議決でなく、帝国憲法を復元し正統なる明治皇室典範を皇室に奉還して、旧皇族に皇籍復帰して頂き、天皇陛下中心の「皇族会議」を復活した上で、「皇室が自ら皇室のこと」をお決めいただけるように環境を整えることが『臣民』としての務めでなのではないでしょうか。
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2015-08-09

1036名の特攻隊員の遺影を探して全国行脚された板津忠正さん




 産経新聞8月1日特殊・特攻の記事に、知覧の特攻平和会館初代館長の板津忠正さんのことが掲載されいました。
 私は知覧の平和会館を訪ねた折、若い特攻隊員の遺書や笑顔の写真に接し、涙が止まりませんでした。
 その遺書や写真を生き延びられた板津忠正さんが、自費で集められた事を知り、感嘆すると同時に、国のために命を捧げられた英霊のために政府はなぜ動かないのか。遺骨収集も然りです。激戦地での遺骨収集も70年経った今もなお多くの遺骨が残されていることに、悲憤を感じます。政治家は個々の失言を取り上げ凶弾に時間を費やすことなく、もっと大切な事を進めるべきだと思います。

板津忠正さんは特攻に志願して、二度も出撃命令を受けながら、エンジントラブルや天候が悪く、いづれも出撃が中止され、終戦を迎えられました。
 板津さんは「国のため、肉親のため死ねる」と出撃できる事に感激していたにもかかわらず、生き延びてしまった。同期の特攻隊員たちと「靖国神社の鳥居の下で待ち合わせてから入ろう」と約束されていました。それなのに、自分だけが生き延びてしまったと悔やまれて、呵責に負い詰められていました。その時知覧で食堂を営み、特攻隊員を見送り続けた鳥浜トメさんに
「あなたが生かされたのは,何か意味あって生かされたんだよ」と言われ、生きる事の使命感を憶えられたのです。
 そのうち世間の風潮が特攻隊に対して『犬死だった』『無駄死にだった』と偏見の言葉を聞くようになり、中には『殴られるのが嫌で志願した』と特攻隊員の心と死を冒涜するようなことを平気で言う人もいたりして、許せない気持ちになられたのでした。
 「特攻隊の死は無駄ではなかった。風化させてはいけない。後世に伝えなけれいけない。」との強い思いから、仕事の傍ら、戦没者名簿を手に、全国の遺族に特攻隊の真実を伝えながら遺品や遺書、遺影を集めて、一軒一軒を探して廻られました。
 平和会館が建設された昭和59年には1036名のうち、まだ384人の遺影が見つかっていなかったそうです。その後も特攻隊員の御霊に押されるようにして、384名の遺族を捜し求めて、ようやく1036名全員の遺影をそろえることが出来たのです。終戦から四九年が経っていました。板津さんの涙ぐましいご努力、執念、使命感の賜物だったと思われます。どんなにか、ご苦労が実り、ほっとされた事でしょう。板津さんのような方が居られて、特攻隊の方達も浮かばれたことでしょう。

 支那や韓国に虚偽の報道に毅然として、真実を語り反論することなく隣国に気兼ねして来た政府、隣国を応援するような報道をしてきたメディアのために、日本は貶められているのです。国際的にも誤解され負目を負わされている状態の今日を思うとき、先人達に申し訳ない気持ちで一杯です。命を掛けて国を守りひいてはアジアの国々を独立へと導いた先人達の功績を決して忘れることなく、感謝し、後世に伝えていかければと改めて決意いたしました。
今日の日本の繁栄、平和は英霊のお陰であることを肝に銘じ、後生に伝え、先人達が命を掛けて守ってくれた伝統ある素晴らしい国日本が、永遠に存続するように、今こそ叡智を極めるべきと考えます。
坪田陽子
2015-04-21

「恐るべき日本人、中国人留学生が日本で震撼した」



知人のブログで、中国の留学生が日本に来て日本の見方が変わった話が載っていました。
お知らせ致します。(坪田)

2014年8月22日、中国のインターネット上に
「恐るべき日本人、中国人留学生が日本で震撼した」
と題する文章が掲載された。以下はその概要。

正直に言えば、私は日本人が大嫌いだった。

私は中国では「憤青(※反日思想が顕著な若者)」であり、
われわれを深く傷つけた日本を憎んでいた。
しかし、日本に来てからはその認識を改めざるを
得なくなった。
「恐るべき」という言葉以外には形容できない体験を
日本でしたからだ。
この「恐るべき」は畏怖の念だと言っていい。
日本がわれわれを上回っている部分はあまりに多すぎる。
恨みはわれわれの目を閉ざし、理性を奪い、
身の程知らずにしてしまう。
日本の空港に降り立ったときから、違いははっきりしていた。
静寂、秩序、清潔…。
一つひとつのカルチャーショックが、私がそれまで
抱いていた日本に対する印象を否定していった。
●謙虚
人同士は、互いに客人のように相手を尊重し合う。
●清潔
街は異常なほど清潔。
日本人の靴は靴底まできれいと言っても大げさではない。
●秩序
信号を無視するドライバーや歩行者を見たことがない。
何をするにも列に並ぶ。
交通警察も少ない。
●仕事熱心
仕事になるとみんなミツバチのようで、暇そうにして
いる人はいない。
管理者は部下が日本人だろうが外国人だろうが親切。
その心地よい雰囲気は、中国にはない。
●安全
日本は治安が良く、拾ったものは自分のものにしない。
もっと言えば、落ちているものは拾わない。
●安心
全員が国民健康保険に入ることができ、整備された
社会保障システムがある。
●環境保護
日本のエコ意識は非常に高い。
ごみの分別が厳しく定められている。
この日本という「敵国」で、私は知らぬ間に、
礼儀正しく、謙虚で、きれい好きで、
ルールを守る人間になっていった。
2015-03-17

硫黄島戦没者遺骨引き渡し式


硫黄島戦没者遺骨引き渡し式をネットで見ました。
英霊の御魂達はどんなにこの日を待ち焦がれられたことでしょうと思い、涙があふれました。
英霊の皆様は家族のため、日本を守るために命を捧げてお働き下さいました。
お蔭で、今日の私たちの幸せがあることを忘れてはなりません。
それにしてもなぜ、マスコミはこのような大切なことを放映しないのでしょうか。
くだらない番組ばかり多すぎます。
日本は戦争した悪い国だとか。兵隊は悪いことをしたなどと、出鱈目ばかりを喧伝し、
日本を貶めるのはもう止めてほしい。
日本の軍人、兵隊は世界で一番正直で、倫理に基づき立派な行動をされたのです。
世界に誇れる規律正しい軍隊であったことを語らなければなりません。
今の自衛隊の皆様もその精神を受け継がれているのです。
だから今にしてようやく国民に認められるようになりました。
これからもっと、日本の素晴らしさを若い方たちに伝え、
日本人の誇りを取り戻していただきたいと切に願っています。  坪田陽子
2015-01-09

『明治初心の精神に立ち返るとき』


遅ればせながら新年明けましておめでとうございます。本年も何卒宜しくお願い申し上げます。

 1月7日付け産経新聞『正論』欄に、文芸評論家・新保祐司氏が「戦後70年の認識を言動の根本に」という論稿が掲載されていました。(http://www.sankei.com/column/news/150107/clm1501070001-n1.html)
 その中で新保氏は、「戦後70年後の今年から3年後には、明治維新150年の年(2018年)を迎えること」を念頭に、「明治初年の精神を取り戻さなくてはならない」とし、「その高貴なる精神の代表者」として西郷隆盛を挙げ、『敬天愛人』の思想(注1)こそ日本人は想起すべきであると主張されておられました。
 また1月8日付け産経新聞『正論』欄に掲載された東京工業大学名誉教授・芳賀綏氏の論稿「高朗なる明治の精神に立ち返れ」も、新保氏とほぼ期を一にして同主旨の内容を述べておられます。
 (http://www.sankei.com/column/news/150108/clm1501080001-n4.html)
 その中で、芳賀氏は、平川祐弘氏の著書『』平和の海と戦いの海』を紹介しつつ、終戦後の昭和21年元旦に出された『年頭詔書(「年頭、国運振興の詔書(新日本建設の詔書」』の真意に触れられ、『年頭詔書』の最初に『五箇条の御誓文』が引用されているのは、「日本の民主主義は敗戦を機に取って付けたもの」ではなく、「五箇条の御誓文にその根本理念が明示されており、近代日本の国家運営は民主主義を基底として出発した旨も、この詔書で明らかにしたい、という昭和天皇のご意向によるものだった」と昭和天皇の大御心を改めて確認しておられます(注2)。
 芳賀氏は、更に「昭和天皇の同じ見方」をしていた言論人として石橋湛山を挙げて、その主張を次の様に解説されているのはとても重要です。
 
 「湛山は明治から敗戦まで40年近く、自由主義の言論一筋に生きた人で、自身が社長だった東洋経済新報の昭和20年9月1日号『社論』に論じた。旧敵国の求める民主化は難事ではなく、五箇条の御誓文こそ、敬慕する明治大帝が「デモクラシーの真髄を道破せられた」ものであり、基本的人権も欽定(明治)憲法の柱で事新しくはない、「日本国民は速(すみや)かに五事の御誓文と欽定憲法とに帰れ。しからば米英ソ支、何事をなすを得ん」と。満々たる自信と厳然たる対勝者姿勢。40年一貫した剛毅(ごうき)不屈さが躍如としていた。」(傍線引用者)

 GHQの占領下にあって堂々たる論陣を張った自由主義者・石橋湛山の胆識もさることながら、当時の湛山の憲法観は特に注目すべきです。戦前「小日本主義」を唱えいわゆる「軍国主義」と闘った石橋湛山は、「左派リベラル」・進歩的文化人からも評価が高い人物ですが、デモクラット・湛山が『速やかに五事の御誓文と欽定憲法に返れ』と主張した見識をわが国の左右両派すべての政治家には是非とも共有して頂きたいものと切に願います。
 真にデモクラシーを擁護するのであれば、わが国の主権と国民の真の自由が奪われた占領下での、「憲法改定」は当然認められないと思います(しかも現に正論を主張したリベラルデモクラット・石橋湛山はいわれなき公職追放の憂き目にあっています)。湛山を評価し、自由とデモクラシーを尊重する者であればあるほど、今もって「日本国憲法(占領憲法)」を押し頂いている状況に対し、屈辱と感じるのが正常な感覚であり、『占領憲法無効・帝國憲法復元改正』の立場をとるのが筋ではないかと思うのです。
 戦後70年を迎えた今年。改めて真の「戦後体制(戦後レジーム)からの脱却」の意味を考え着実に実行していかなければなりません。その鍵は、畏れながら明治大帝の大御心をわが心と為された昭和天皇の御詔勅と御製、そしてその御事績にあると昭和天皇祭に際して思った次第です。

(注1)「敬天愛人」については、『西郷南洲遺訓』(岩波文庫)。あと黎明教育者連盟『観の教育』平成26年8・9月「偉人の言葉」参照。
(注2)『年頭詔書(「年頭、国運振興の詔書(新日本建設の詔書」』の真意の詳細については、黎明教育者連盟ホームページ「コラム『日本の国柄』」参照。
 http://reimei-kyoren.com/koramu/kunigara.html


柴田
2014-11-05

「英霊を偲ぶ 心の旅」体験記

「英霊を偲ぶ 心の旅」体験記  (鹿児島)10/20-22
さくらチャンネルの新垣さんの企画と知って参加させて頂きました。期待を遙かに上回る素晴らしい企画で、慰霊に情熱を傾けて居る5人の同行者との充実の旅でした。知覧の特攻隊の事だけは知っていましたが、今度の旅で都城、鹿屋、串良、万世や指宿等の沢山の特攻基地があって、とても沢山の若い優秀な青年達が祖国を守るために自分の命を捧げて下さった事を知り 認識を新たにしました。数々の慰霊碑と慰霊塔にお花をお供えして感謝の祈りを捧げ、資料館や記念館をゆっくり見学させて頂きました。
 今回の旅行で1番心を打たれた出来事は、串良海軍特攻隊出撃戦没者慰霊塔でのことです。予定の時間より遅くなり日が暮れて真っ暗になってから到着しました。広い公園には街頭の明かりはありましたが、慰霊塔の上は暗かったので懐中電灯で隊員の名簿をざっと閲覧して献花、拝礼して下に降りたときの事です。塔の左右に1本ずつある国旗掲揚のポールの左だけが風も無いのに揺れていると、指摘されたのです。周りに何の振動も無く、周囲の木々の葉を揺らす風も無い静寂の中で ただ1本のポールだけが旗も無いままで揺れていたのです。皆で驚いて見つめると更に激しくポールが揺れました。新垣さんが『左は隊員名簿のある側だから、英霊達が喜んで呉れているのですよ』と言われ、来て良かったと胸が熱くなりました。皆の見守る中 やがて揺れが収まったので車に戻りましたが英霊達の姿を観た思いがしました。
 「特攻を串良の塔に詣でれば 揺れるポールに英霊を観ず(かんず)」
 神奈川 加納孝子

都城陸軍墓地4-S
神雷特別攻撃隊慰霊碑4-S
鹿屋特攻隊戦没者慰霊塔14-S
串良海軍特攻隊出撃戦没者慰霊塔3-S
知覧特攻平和会館4-S
万世特攻平和祈念館14-S
比島戦没者慰霊碑4-S
2014-10-01

夢や希望や目標は困難を乗り越える力となる


ヒュー・ハー氏は1964年、米ペンシルバニア州生まれ。7歳で登山を始め、若手登山家として名を馳せていました。17歳の時、登山事故に遭い、両足切断を余儀なくされたのです。
 彼は今一度登山をしたいとの切なる願いを実現するべく、義足の研究に励みました。研究に研究を重ねてバイオニック技術を用い10年を経て険しい山・ロッククライミングするための特殊な義足を作ったのです。
足を失ったとき、体が壊れたと思わなかった。人は絶対にこわれない。壊れているのは人が作った環境や科学技術、人間は技術革命により、障害を克服し、より一層快適な暮らしができるのであるとの思いで挑んだと云われます。
そして今は登山家としてだけでなく、戦争や事故で失った足をその人に合った義足を提供し、世界中の人に喜ばれています。
ボストンテロで足を失ったダンサーが義足をつけて涙ぐみながらダンスを披露している姿は感動的でした。
 彼が足を失っても挫けることなく、好きなロッククライミングをしたいとの強い思いが、性能なすごい義足を生み出したのです。
 ヒュー・ハー氏が素晴らしいのは「目指すは自分ひいては皆の障害を無くこと」と言って、より一層高度な製品を目指しておられることです。まさに人は皆無限力を与えられているのです。積極的に生きていきたいものです。(坪田陽子)
2014-09-11

「冊子の感想を寄せて頂きました」


先日お子様が誕生するのでと「家庭教育の極意」と「乳幼児の育て方」をS様からネットでご注文頂きました。
下記のように感想をお寄せくださいました。お役にたててうれしく思います。

「冊子早速読ませて頂きましたが、まずは夫婦間において、感謝の気持ちを伝え合ったり、お互いを尊重してちゃんと言葉で伝えることが子供にとって大切なことなのだな、と改めて思いました。
ぜひ、実践していきたいと思います。
私は、生まれてくる息子には「日本人らしさを人に伝えることが出来る人間」になって欲しいと思っています。
そういった意味では教育勅語を伝えることは日本人としてなくてはならないものだと思っております。
当然ながら私自身ももっともっと勉強を続けていきます。」

社会がどんな状態であれ、家庭教育が健全であれば子供は良い子にすくすくと成長します。日本の将来を担う素晴らしお子が誕生し立派な日本人に成長されることを信じ、心より祝福を送らせて頂きます。


坪田陽子
2014-09-07

作品展開催しています



5日から川崎市宮前区の市民舘ギャラリーでアトリエ宮前の生徒の作品展開催しています。10日までです。
昨日6日には180人の入場者がありました!
お近くの方はお出かけ下さい。
  
  つえだかずみ

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2014-09-07

若者に働く喜びを



 8月31日のフジテレビ20001の朝の番組の中で、よまわり先生で有名な水谷氏が「今全国で引きこもりの若者が130万人いる、このような状態を作ったのは政治が悪い」と言うような事を言われたら、すかさず、金美麗氏が「政治だけの責任ではない、一番悪いのは親であるわれわれである、昔の人は働かざる者食うべからずといって育てた、子供を甘やかせて育てた事がよくない」と反論されていた。
 私も金氏に同感である。小さい時から仕事を与え(例えば玄関の掃除、新聞を取り込むなど)家族の役に立っている事を自覚させることが大切だと思う。
 今ひとつ親も子供も理想の職業を選ぶからだと思う。
 私はいつも閉じこもりの青年達に「人間働くことが一番大切。職業に貴賎無し、どんな仕事も社会に役立つ。無駄はないと教えている。嫌な仕事でも真心込めて一生懸命に働いていると、きっと良いことになる。結局自分のためになる。職を断られたら、次の仕事を探せばよい。断られたり、自分に合わないからと止めることは少しも恥ずかしいことではない。挑戦もしないで家にこもって何もしないで遊んでいて、身体は元気だというのに親に食べさせて貰うことの方が、どれだけ恥ずかしいことかしれやしない。」と言って聞かせている。すると、次第に自信を取り戻し、社会に復帰します。
 昔の教科書は、小野道風の話(ある日小野道風が通りかかると、蛙が柳に飛びつくシーンに出会う。何度も何度も飛びつこうとするが、なかなか捕まらない、それでもあきらめず繰り返し、飛びついているうちに、ついに飛びつくことが出来た。それを見て発奮した道風は書道に精進し、弘法大師と並び称されるようになる)等で、努力すれば必ず報いられることを教えた。今の教育に最も必要なことではないかと思う。
 学校教育でも人権だの個性の自由などを強調する教育よりも、働く喜び、一生懸命に生きる尊さを心して教育していただきたいものである。   
   坪田(拙著「青春時代を生きる」冊子150円を参照に)
プロフィール

黎明教育者連盟

Author:黎明教育者連盟
黎明(れいめい)教育者連盟は皇室を敬い、伝統文化を守り、戦後の誤れる教育を正し、­日本の再興を子供の教育から目指す教育団体です。
小学生向けの「寺子屋」や、親子参加型の「親子寺子屋」「乳幼児寺子屋」などを中心に、絵画­教室、書道教室、礼法教室、着物教室、歴史講座、古事記勉強会、童謡・唱歌わらべ歌の­­­会、子育て相談などを運営しています。現代の興廃した教育環境の中で、自分の子供­にはどんな教育をしたらいいか、お悩みではありませんか。日本人として誇りの持てる人­生­を­お子様には歩んでほしいものです。どなたでも参加出来ます。ぜひお気軽にお問­い合わせ下さい。
http://reimei-kyoren.com

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