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2022-08-21

『国葬』と「国葬儀」 について

『国葬』と「国葬儀」 について

安倍晋三元首相が去る七月八日奈良の大和西大寺で凶弾にあわれて逝去されました。
改めて追悼の誠を捧げ、慎んでご冥福をお祈り申し上げます。
諸外国の要人からお悔やみの言葉が相継ぎ、安倍元首相の所謂「国葬(正確には国葬儀)」が政府により決定されましたが、その法的根拠は内閣府設置法第四条三項三十三「国の儀式並びに内閣の行う儀式及び行事に関する事務に関すること(他省の所掌に属するものを除く。)」によるものだとされています。
率直に言って具体性に乏しい無味乾燥な条文ではないでしょうか。
そもそも現行(占領)法制下で果たして『国葬』が出来るのでしょうか。
戦前にあっては正統典憲体制下、勅令である『国葬令』によって、『国葬』は原則 天皇・皇族であること、皇族では無い者の『国葬』は 天皇陛下の勅裁が必要でありました。
占領期に『国葬令』は失効させられましたが、国(政府)が葬儀を行う基準は全うな国家であれば、明確にして置くべきでしょう。
もし『国葬』を執り行いたいのであれば、日本の國體・国柄を尊重し回復する観点から、本来は占領憲法無効・帝国憲法の現存確認宣言を首相が発して、『国葬令』を回復したのち、天皇陛下の勅裁のもとで、安倍元首相の『国葬』を決定するのが筋ではないでしょうか。
或いは慣習法の観点から勅裁を得て執り行うべきではなかったかと考えます。
それが『日本を取り戻す』とスローガンに掲げた安倍首相の御心に叶うことでもあると拝察します。
国葬に関してもうひとつ論点を敢えて提示すれば、天皇陛下、上皇陛下を始めとする皇族方の御葬儀をどの様に法的に位置付けるのかということも検討しておく必要を感じます。
戦前の『国葬令』では、第一条「大喪儀ハ國葬トス」とあり、天皇陛下の御葬儀は『国葬』と明確でしたが、現行(占領)典憲下では、 天皇陛下が崩御されたときには、現行(占領)皇室典範第二十五条「天皇が崩じたときは、大喪の礼を行う」、天皇の退位等による皇室典範特例法第三条三(所謂「退位特例法」)では、「 上皇の身分に関する事項の登録、喪儀及び陵墓については、天皇の例による。」とあるだけで、天皇陛下・上皇陛下の御葬儀は必ずしもすべて『国葬』であるとは言い難い状況であることは認識しておかなければなりません。
昭和天皇の御大喪の際には、現行(占領)憲法第二十条の政教分離を、完全分離の解釈により、宗教性のある「大喪儀」が皇室行事、「大喪の礼」が国事と区分けされ、移動式の鳥居を使ってその区別を行うという前代未聞のお粗末なものでした。
不謹慎かもしれませんが、上皇陛下が仮に崩御あそばされた際にも、前列を踏襲することになるのでしょうか。
正当な独立した法治国家として、正統典憲を復元して、『国葬令』を始めとする勅令や宮務法体系を回復することで、国事としての儀式が厳粛な雰囲氣のもと斎行されることを切望するものです。

《参考》国葬令(1926年・大正15年10月21日制定。1947年12月31日失効。)
第一條 大喪儀ハ國葬トス
第二條 皇太子皇太子妃皇太孫皇太孫妃及攝政タル親王内親王王女王ノ喪儀ハ國葬トス但シ皇太子皇太孫七歳未満ノ殤ナルトキハ此ノ限ニ在ラス
第三條 國家ニ偉功アル者薨去又ハ死亡シタルトキハ特旨ニ依リ國葬ヲ賜フコトアルヘシ
前項ノ特旨ハ勅書ヲ以テシ内閣總理大臣之ヲ公告ス
第四條 皇族ニ非サル者國葬ノ場合ニ於テハ喪儀ヲ行フ当日廢朝シ國民喪ヲ服ス
第五條 皇族ニ非サル者國葬ノ場合ニ於テハ喪儀ノ式ハ内閣總理大臣勅裁ヲ経テ之ヲ定ム

 
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2019-03-06

〝皇室伝統に沿った御代替わりの儀式〟の再興を願って

〝皇室伝統に沿った御代替わりの儀式〟の再興を願って

一、始めに
今回の今上陛下から皇太子徳(なる)仁(ひと)親王殿下への御譲位(ごじょうい)としての皇位継承は、閑院宮(かんいんのみや)の光(こう)格(かく)天皇(てんのう)から仁(にん)孝(こう)天皇(てんのう)への御譲位(ごじょうい)以来凡(およ)そ二百年ぶりの御(ご)慶事(けいじ)になります。日本国憲法(占領憲法)・現行(げんこう)皇室(こうしつ)典範(てんぱん)(占領(せんりょう)皇室(こうしつ)典範(てんぱん))並びに明治(めいじ)皇室(こうしつ)典範(てんぱん)(正統(せいとう)皇室(こうしつ)典範(てんぱん))では、『譲位』規定がないので、今回は現行皇室典範に補足する形で『天皇の退位等に関する皇室(こうしつ)典範(てんぱん)特例法(とくれいほう)(成立:平成二十九年六月九日、公布:平成二十九年六月十六日 以下『退位特例法』)』が国会で制定されました。そして政府内の「天皇陛下の御退位及び皇太子殿下の御即位に伴う式典(しきてん)委員会(いいんかい)(以下『式典(しきてん)委員会(いいんかい)』)」によって御代替(みよが)わり儀式(ぎしき)の準備が執り行われています。
そして式典委員会が発表している『天皇陛下御退位に伴う式典の考え方』のなかにある「憲法(けんぽう)の趣旨(しゅし)に沿(そ)い、かつ、皇室(こうしつ)の伝統(でんとう)等(とう)を尊重(そんちょう)したものとする」と基本方針の下で、四月三十日に「退位(たいい)礼(れい)正殿(せいでん)の儀(ぎ)」、五月一日に「剣璽(けんじ)等(とう)承継(しょうけい)の儀(ぎ)・即位(そくい)後朝(ごちょう)見(けん)の儀(ぎ)」、十月二十二日に「即位(そくい)礼(れい)正殿(せいでん)の儀(ぎ)」、十一月十四日・十五日には「大嘗祭(だいじょうさい)」と御代替わりの重要な諸儀式が斎行される予定となっています。
さて一世(いっせい)一代(いちだい)の喜ばしい御代替わりの儀式において、現在政府が計画(けいかく)立案(りつあん)して遂行している一連の儀式が果たして皇室伝統に則した歴史ある立憲(りっけん)君(くん)主(しゅ)国(こく)・天(てん)皇国(のうこく)日本(にほん)の儀礼として相応(ふさわ)しいものなのでしょうか。実は現行法制下においては、皇室伝統が破壊され、本来の皇位継承の在り方に齟齬(そご)が生じているのではないかという問題提起と、本来の皇位継承・御代替わりの儀式の再興を願いつつ論じてみたいと思います。
二、次善の策〜「退位特例法」から「『譲位』特例法」への改正を〜
天皇陛下・皇后陛下は今回の御代替わりにあたっては一貫して『譲位』という皇室伝統に基づいた正しい言葉を使われているにも関わらず、政府・国会、並びにマスコミは日本国憲法の解釈から「生前退位」「退位」いう言葉を用いています。
留意しておきたいのは、憲法学者の宮澤(みやざわ)俊(とし)義(よし)氏の影響を受けた戦後憲法学は「退位」という言葉を「天皇制廃止」から「共和制」への移行のために意図的に用いているという事です。宮澤憲法学の下(もと)に「国民主権」や「政教分離」の概念を駆使しながら、現在の内閣法制局や宮内庁などが御代替わりの儀式を、憲法解釈をして「退位」「即位」の分離や諸儀式を「天皇の国事行為・皇室の公的行事・皇室の私的行事」と区分けして遂行しようとしています。
今回の天皇陛下の御意思による「譲位」或いは「退位」に関しても、憲法解釈として内閣法制局は、「国事行為には当たらないが、国政に関する機能の行使には当たるのではないか」という主旨の見解を述べて「憲法違反」の疑義があるとしています。もっとも「譲位」は「国事行為に含まれていないので、国政に関しない機能」とも解釈できそうなものです。ところが天皇陛下が皇太子殿下に皇位を御譲りになるのが「国政に関する機能の行使に当たる」と理解しているので、天皇陛下の御意思がより強く含まれる「譲位」ではなく「退位」という言葉を使い、天皇陛下の御意思を排する形で憲法第四条違反にならないように、あくまで政府・国会主導で「退位特例法」を制定して天皇を「退位」させ、時間的連続性のある『譲位・受禅の儀』という皇室伝統に則した皇位継承の在り方を否定して、「退位礼正殿の儀(退位礼)」「剣璽等承継の儀(即位礼)」を分離して挙行を企てているという訳です。
しかし占領(せんりょう)典(てん)憲(けん)を前提にするにしても、南出喜久治氏が指摘なさるように、占領典範第四条「天皇が崩じたときは、皇嗣が、直ちに即位する」を限定的に「天皇の御叡意による譲位は、この限りではない」として、「譲位の場合は皇統連綿における時間的間隙がありませんので、今上の叡意によって自由になさればよい」(注1)と解釈して『譲位・受禅の儀』による御代替わりの儀式を斎行しても良かったのではないでしょうか。
本来ならば、皇室の自治と自律を奪う「占領典憲並びに退位特例法」は無効であって、正統(せいとう)典(てん)憲(けん)を復元して皇室典範を御皇室に奉還して「皇室会議」でなく天皇陛下が中心となった『皇族会議』で皇位継承をお決め頂くのが正道です(注2)。
しかし、仮に今はそれが難しいのなら、そもそも法解釈は、その国の歴史・慣習・伝統文化を踏まえて為すべきであって、現行法制下であっても、占領憲法第二条の『世襲』の概念を踏襲すれば、わが国の皇位継承は皇室伝統の上では時間的連続性のある「崩御(ほうぎょ)・践祚(せんそ)(諒闇(りょうあん)
践祚(せんそ))」「譲位(じょうい)・受禅(じゅぜん)(受禅(じゅぜん))」しかあり得ません。
現行皇室典範には、皇位継承に連続性を持たせる『践祚(せんそ)』の概念はないですが、昭和六十四年一月七日の昭和天皇崩御の際には、皇太子殿下(現在の今上陛下)が『同日』に「直ちに即位」され、実質上は『崩御・(諒闇)践祚』の皇位継承がなされました。であるならば、同じ日本国憲法(占領憲法)体制下の今回の御代替わりの儀式においても時間的間隙をつくらない形での『譲位・受禅践祚』の儀式を斎行しても問題ないはずです。
更に「退位特例法」第二条「天皇は、この法律の施行の日限り、退位し、皇嗣が、直ちに即位するものとする」とあるので、四月三十日「退位礼正殿の儀(退位礼)」・五月一日「剣璽等承継の儀(即位礼)」の分離挙行は「退位特例法」にさえも違反していることにもなります。
この四月三十日「退位礼」、五月一日「即位礼」の分離は、平成二九年一二月一日の皇室会議で決められたとされていますが、「皇室会議」とは名ばかりで「皇室」を監視弾圧する機関と化しています。一刻も早く天皇陛下中心の『皇族会議』を回復しなければ皇室の式微(しきび)は留まることを知らないと思います。
この様に今回の「退位式」「即位式」の分離は皇室伝統からも日本国憲法からも現行皇室典範ならびに「退位特例法」にさえも違反している状態なのです。このような皇室伝統という『法の支配』に対する〝不法〟や現行法制の『法治主義』に対しても〝違法〟となる状態で、一世一代の御代替わりの儀式を汚して果たして良いものでしょうか。
また今回、皇位継承に空白を生じさせる事例を作ることで、次の御代替わりの際に皇位継承で新たな揉め事が起った際に、皇位に長い「空白」が生まれ最悪の場合には「皇統断絶」
「天皇制廃止」へと向かわないかと危惧されます。なぜなら今回の「退位特例法」は「天皇の強制退位」「皇嗣の不就位」の法解釈の余地や、女性天皇・女系天皇への道を開く「女性宮家」を規定する皇室典範改定への道を開きかねない内容を持っているからです(注3)。
今回の皇位継承の在り方を考えれば、政府・国会は、今上陛下が宮内庁にお示しになられたように(注4)、光格天皇の御事例を踏まえた「譲位・受禅の儀式」を考えていくべきであり、その為には、次善の策として「退位特例法」を廃止して、皇室伝統を最大限に重んじた「皇室典範増補(『譲位』特例法)」に改正して天皇陛下に奉呈すべきだったと思います。

三 譲位・受禅の儀
今から凡そ二百年前に御譲位をなさった光格天皇は、朝議の再興・復古にご尽力あそばされた天皇でした。とりわけ大嘗会・新嘗祭の復古、禁裏(きんり)御所の復古的造営、伊勢公(く)卿(ぎょう)勅使の復古、石清水八幡宮・賀茂社の臨時祭の再興、さらに光(こう)孝(こう)天皇(てんのう)以来になる天皇号・諡号(しごう)の再興などが挙げられます。その際には先例の儀式を学ぶために有職(ゆうそく)故実(こじつ)の学問も盛んになりました。

光(こう)格(かく)天皇(てんのう)から皇太子恵(あや)仁(ひと)親王殿下(仁(にん)孝(こう)天皇(てんのう))への「譲位・受禅の儀」も平安時代の先例に学びつつ荘厳かつ盛大に斎行されました。
皇室伝統に沿った『譲位・受禅の儀』の内容は概ね以下の四点になります。

1 宣命(せんみょう)の儀
内裏(だいり)の紫宸(ししん)殿(でん)にて、天皇と皇太子が相向かわれ、皇太子に向かい宣命大夫(公家)が譲位の宣命文を読み終わると同時に、皇太子が新帝になられる。(今回の御代替わりの儀式には「宣命の儀」がありません。)
2 剣璽(けんじ)渡御(とぎょ)の儀(剣璽等承継の儀)
  新帝、前帝(上皇)・皇太后(上皇后)の同列にお座りなられ、新帝の御前に剣と璽、国璽と御璽が渡御される。その後剣と璽は御所の「剣璽の間」に遷幸される。
3 御笏(おんしゃく)・御袍(ごほう)捧持(ほうじ)の儀
  内侍二名が御笏(象牙製の牙笏(げしゃく))と御袍(ごほう)(黄櫨(こうろ)染御袍(ぜんのごほう))を捧持して儀場に入り、前帝の前の案(机)に並べる。前帝の了解を得て、新帝の傍に御笏・御袍の乗る案が捧持される。新帝が拝礼され、前帝が目礼で応答。新帝が儀上から出御される。
4 祝賀(しゅくが)御列(おんれつ)(パレード)の儀

平安時代からの『譲位・受禅の儀』はすべて内裏・紫宸殿(ししんでん)で行われています。
光格天皇から皇太子恵(あや)仁(ひと)親王殿下(仁孝天皇)への『譲位・受禅の儀』は例外で、文化十四年(西暦一八一七年)三月二十二日の一日で行われ、午前八時から仙洞(せんとう)御所(ごしょ)への光格天皇の行幸パレードで始まり、午前中に仙洞御所にて譲位の儀(節会(せちえ))、午後清涼(せいりょう)殿(でん)で受禅の儀(宣命)・紫宸殿で剣璽渡御の儀が行われ、夜に饗宴(きょうえん)の儀が清涼殿で行われたようです。
宮内庁の作成資料『歴史上の実例』では、いくつかの史料誤読、或いは史料改竄がなされています。
例えば『光格天皇実録』の紹介で、「光格天皇の譲位の際の例」とタイトルが銘打っていますが、正しくは「光格天皇・皇太子の譲位と受禅の例」、式場も「桜町(さくらまち)殿(でん)(仙洞御所)」のみ記載され、正しくは「儀場 桜町殿、清涼殿及び紫宸殿」とすべきです。
また光格天皇の『御譲位パレード』を、「築地の内の公家や所司代の関係者からお見送りを受けたもので,公衆に披露する御列(パレード)ではない。」としており、国立公文書館デジタルアーカイブに所蔵されている『桜町(さくらまち)殿(でん)行幸図(ぎょうこうず)』を見れば、その嘘が一目瞭然でわかります。
今上陛下が御譲位をご決意なさるにあたり、光格天皇のご事例を調べるよう宮内庁に御下問があったのであれば、宮内庁は歴史事実を枉げずに上奏するとともに、内閣総理大臣始め国務大臣・国会議員は、光格天皇の先例に則して『譲位・受禅の儀』を斎行しようと尽力するのが『臣下』の務めだと思います。とりわけ宮中に於ける儀式を管轄する宮内庁にあって、「歴史史料」が「公文書」としての特質を持つものであるとすれば、歴史史料を捻じ曲げてまで「退位礼」を挙行しようとするのは「公文書偽造の罪」にはならないのでしょうか。

四、「退位(たいい)礼(れい)正殿(せいでん)の儀(ぎ)」「剣璽(けんじ)等(とう)承継(しょうけい)の儀(ぎ)」 

政府による、第3回 「天皇陛下の御退位及び皇太子殿下の御即位に伴う式典委員会」に提出された資料によると、「退位礼正殿の儀」は4月30日午後5時から5時10分までの凡そ10分間、また「剣璽等承継の儀」は、5月1日午前10時30分に始まり、おおむね午前10時40分までの約10分で終わる予定になっています。
日本経済新聞の報道(平成三一年一月一八日)によると「政府は一連の儀式が憲法に抵触しないよう配慮した。憲法1条は天皇の地位は国民の総意に基づくと定め、4条は天皇の国政関与を禁じる。天皇が自らの意思で皇位を譲ると表明すれば、憲法に抵触しかねない。このため退位の儀式では陛下自ら天皇の地位を退く趣旨を述べない。首相が陛下の「お言葉」に先立って退位を宣言し、陛下への謝意を示す。歴代天皇に伝わる三種の神器のうち剣と璽(じ=まがたま)、公務で使う天皇の印の御璽(ぎょじ)なども陛下が出席する退位の儀式では引き継がない。用意された机の上に飾るにとどめる。皇太子さまに神器などを目に見える形で引き渡すと、自ら皇位を譲る意思を示したと受け取られる可能性があるからだ」と伝えています(注5)。
 この報道の通りだとすると、『皇室伝統』に則った『儀式』による皇位継承でなく、占領典憲・「退位特例法」などの『現行法制』の曲解に基づく継承です。天皇陛下の御叡慮である『譲位』が完全に否定され、首相による「退位宣言」となり、天皇の「退位」を政府・国会が恣意的に決定する事例となってしまいます。
また「退位礼正殿の儀」のあとの「剣璽」の所在は何処になるのでしょうか。斎藤(さいとう)吉(よし)久(ひさ)氏が指摘するように、「陛下とともに御所に戻るのか、それとも東宮に遷るのか、それともいったん賢所に遷るのか。いずれにしても、剣璽は皇位とともにあるという皇室の伝統にそぐわない状況が約17時間、発生する」ことにならないでしょうか(注6)。
そして今回の「剣璽等承継の儀」に於いて皇太子殿下に剣璽を渡す主体は何処になるのか。杞憂かもしれませんが、もし政府という事になれば、一時的にも天皇から時の政府に剣璽が簒奪(さんだつ)されたことにならないでしょうか。
今上陛下から皇太子殿下に剣璽等が直接承継されないとすれば、「受禅」も成り立たず、一時的な「皇統断絶」あった、あるいは神武天皇から続いた125代の皇室伝統が途絶え日本国憲法に基づく新たな皇朝(王朝)が始まると受けとられかねない憲法解釈が成りたつ可能性が出てくることを危惧します。このままいけば、まさに皇室伝統に基づく『世襲』原理から『国民主権』に基づいた『国民の総意』による皇位継承へと力点が移行したことを示す事例になってしまいかねません。
本来の皇位継承は臣民(国民)の干渉を断じて許してはならないのです。

五、まとめ
今回の一連の御代替わりの儀式には、他にも政府による天皇の改元大権の剥奪・経費削減に伴う大嘗宮の簡素化など数多くの疑問・問題点や課題が見られ、今後の皇位継承に禍根を残すのではないかと危惧されます。
今後の皇室の在り方は、早急に皇室の自治と自律の回復の為の施策をなすことが必要だと思います。具体的には少なくとも以下の事に着手していくべきです。
① 占領憲法無効宣言を為すとともに、大日本帝国憲法現存確認宣言をすること。
② 正統皇室典範を復元して御皇室に奉還すること。
③ 復元された正統皇室典範を中心とする宮務法体系と復元された大日本帝國憲法を中心とした国務法体系の二元体制の整備をすること。
④ 皇位継承の安定化のために旧宮家の皇籍復帰を為し、堂上公家の復活を含め皇室の藩屏を厚くすること。
⑤ 皇室財産を潤沢にしていくこと。
⑥ 皇位継承学・宮中祭祀・有職故実など天皇・皇室に関する学問を再興すること。
 また私たち臣民(国民)の側もこれからの皇室の危機や国難に対して相当な覚悟が迫られると思われます。私たちは、祭祀の再興や皇室の弥栄を永続させるためにも、「家」や「地域」の祭祀を篤く実践していく必要があるのではないでしょうか。


(注1)南出喜久治「典範奉還」(ときみつる會『心のかけはし』平成29年9‐10月号)参照。
(注2)拙稿「『退位特例法』の無効廃止と帝國憲法・正統皇室典範の復元を」(黎明教育者連盟ホームベージ『ブログ・講師たちのつぶやき』2017年11月13日)参照。
(注3)「退位特例法」の問題点については、中川八洋『徳仁《新天皇》陛下は、最後の天皇』第一章「秋篠宮殿下を『皇太弟』としない特例法は、何を狙う」(p20〜64)、拙稿「『退位特例法』の無効廃止と帝國憲法・正統皇室典範の復元を」(黎明教育者連盟ホームページ『ブログ・講師たちのつぶやき』2017年11月13日)参照。
「天皇の強制退位」に関して退位特例法第一条は国会が「象徴として公的ご活動に精励しなければ、天皇を強制的に退位できる」との解釈が可能になること。「皇嗣の不就位」については、「退位特例法」では、皇太子の御位が空位になっており、秋篠宮殿下は皇太子・皇太孫以外の皇嗣殿下ですので、占領皇室典範第一一条第二項によって、「皇室会議の議」によって「皇族の身分」を離れさせる可能性があること。「女性宮家」については付帯決議に明記されており、菅官房長官は「法案の作成に到るプロセスや、その中で整理された基本的な考え方は、将来の先例になりうる」としており、「皇室典範改定」議論がこの先出て皇位継承で問題が起こりうることが予測されます。
(注4)産経新聞「陛下 光格天皇の事例ご研究 宮内庁に調査依頼 6年半前」(2017年1月24日付)
(注5)日本経済新聞「退位・即位 儀式は10分 憲法抵触に細心の配慮」」(2019/1/18 2:06日本経済新聞 電子版)
(注6)斎藤吉久のブログ「賢所の儀は何時に行われるのか?──いつまでも決まらない最重要儀礼」(2019年1月20日記事)

【参考文献】
・倉山満「国民が知らない上皇の歴史」(祥伝社新書)
・宗教ジャーナリスト・斎藤吉久のブログ(So-netブログ)
・柴田 顕弘「『退位特例法』の無効廃止と帝國憲法・正統皇室典範の復元を」(黎明教育者連盟ホームページ『ブログ・講師たちのつぶやき』2017年11月13日http://reimeikyoren.blog.fc2.com/blog-entry-130.html)
・中川八洋ゼミ講義「譲位禁止『4・30』強行の安倍晋三 」
(http://nakagawayatsuhiro.com/?cat=2)
・中川八洋「徳仁《新天皇》陛下は、最後の天皇 悠仁親王殿下の践祚・即位は、国民世襲の義務」(ヒカルランド)「悠仁天皇と皇室典範」(清流出版)
・藤田覚「光格天皇 自身を後にし天下万民を先とし」(ミネルヴァ書房)
・藤田覚「幕末の天皇」(講談社学術文庫)
・「平成の退位 五大疑問」(「オノコロこころ定めてyahooブログhttps://blogs.yahoo.co.jp/umayado17/66216419.html」)
・南出喜久治「典範奉還」(ときみつる會『心のかけはし』平成29年9-10月号)
・吉重丈夫「歴代天皇で読む 日本の正史」(錦正社)
・「縮刷版 みことのり」(錦正社)
・「第2回 天皇陛下の御退位及び皇太子殿下の御即位に伴う式典準備委員会 配布資料」(首相官邸ホームページ)https://www.kantei.go.jp/jp/singi/taii_junbi/dai2/gijisidai.html
・「天皇陛下の御退位及び皇太子殿下の御即位に伴う式典委員会」(首相官邸ホームページ)http://www.kantei.go.jp/jp/singi/gishikitou_iinkai/index.html
・産経新聞「陛下 光格天皇の事例ご研究 宮内庁に調査依頼 6年半前」(2017年1月24日付)https://www.sankei.com/life/news/170124/lif1701240001-n1.html
・日本経済新聞「退位・即位 儀式は10分 憲法抵触に細心の配慮」」(2019/1/18 2:06日本経済新聞 電子版)
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO40134620X10C19A1EA1000/
・国立公文書館デジタルアーカイブ「桜町殿行幸図」
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/pickup/view/category/categoryArchives/0200000000/0201050000/00?fbclid=IwAR2MCrgoi1UFi7KfxG91D-EHXeCJwyF3vBLo1gXcKGLB_5lP0DXIY2Ln6bo


柴田



2018-10-23

20代30代の若者が頼もしい”

“20代30代の若者が頼もしい”
              坪田陽子
 日教組の偏向教育、自虐史観で教育された若者たちは、日本人であることを卑下し、国を恨めしく思っていました。ところがネットで歴史の真実を知り、日本は素晴らしい国だと分かり、感動し、日本に生まれ日本人であることを誇りに思うようになったと言います。そして今や、安倍総理の支持者は60代70代より若者が多いと言います。

この夏ロックバンドのRADWIMPSが「HINOMARU」の楽曲を発表したのです。その歌詞は
日の丸  作詞作曲 野田洋次郎
風にたなびくあの旗に 古よりはためく旗に
意味もなく懐かしくなり こみ上げるこの気持ちはなに
胸に手をあて見上げれば 高鳴る血潮誇り高く
この身体に流れゆくは 気高きこの御国の御霊
さあいざゆかん日出づる国の 御名の下に
どれだけ強き風吹けど 遙か高き波がくれど
僕らの燃ゆる御霊は 挫けなどしない
胸に優しき母の声 背中に強き父の教え
受け継がれし歴史を手に 恐れるものがあるだろうか
ひと時とて忘れやしない帰るべきあなたのことを
たとえこの身が滅ぶとて 幾々千代にさあ咲き誇れ
さあいざゆかん 守るべきものが今はある
どれだけ強き風が吹けど遙か高き波がくれど
僕らの沸る決意は揺らぎなどしない
どれだけ強き風が吹けど遙か高き波がくれど
僕らの燃ゆる御霊は挫けなどしない
僕らの沸る決意は揺らぎなどしない

国を愛する心が伝わってきて、うれしくなります。
ところが一部の人たちから「まるで軍歌だ」「愛国的だ」等とネット上で批判を受けたのです。何処が軍歌なのでしょう。国を思う自然な気持ちだと思います。
作詞作曲した野田洋次郎さんも
「僕は純粋に何の思想的な意味も右も左もなく、この国の事を歌いたいと思いました。自分が生まれた国をちゃんとすきでいたいと思っています。好きと言える自分でいたいし、言える国であってほしいと思っています。」
と発言しています。
日本が好きという青年を批判し攻撃する国であってよいのでしょうか。青少年がすべての日本人が「日本大好き、日本素晴らしい」と堂々と言えるようにしたいものです。

2017-11-13

提言「退位特例法」の無効廃止と帝國憲法・正統皇室典範の復元を

提言 「退位特例法」の無効廃止と帝國憲法・正統皇室典範の復元を
                            黎明教育者連盟講師 柴田 顕弘

 今回、平成二十八年八月八日の今上陛下の「象徴としてのお務めについての天皇陛下のお言葉」を受けて六月九日に「天皇の退位等に関する皇室典範特例法」(以下「退位特例法」)が国会で成立しましたが、この法案にはいくつかの問題点があります。
まずこの「退位特例法」の第一の問題点として、皇室伝統に基づかない言葉が使われてされていることが挙げられます。『譲位』とすべきところを「退位」としている点で、天皇陛下及び皇室に対する敬意が全く感じられません。
皇后陛下は、天皇陛下のお言葉が発せられたのち、メディアで「生前退位」という言葉が流布されていく現状に、深いご憂慮とご懸念を明確に示されました。それにも関わらず、「生前退位」「退位」なる言葉を使い続け、「退位特例法」という法律まで成立させた政治家・知識人・メディア関係者は、皇室に対する不遜不敬を働いていることを猛省すべきです。
さらに『譲位』は連綿とした皇位継承を前提とした伝統的な言葉であるのに対し、「退位」には、皇室伝統で使われたことなく、しかも最終的に天皇制を廃止するという含意がある言葉だということです。
その他に、今上陛下が譲位なされたあとには、美智子皇后陛下は「皇太后(こうたいごう)」ではなく「上皇后(じょうこうごう)」と称されて、秋篠宮文仁親王殿下は「皇(こう)太(たい)弟(てい)」とより明確に規定されず、「皇嗣(こうし)」とのみ位置付けられます。
とくに注意すべきは、「皇太子」と同位である「皇太弟」を用いない有識者会議や法案作成者の意図はどこにあるかということです。
一つの仮説としては、秋篠宮文仁親王殿下を「皇太弟」でなく「皇嗣(こうし)殿下(でんか)」と御呼びする一方で、皇太子徳仁親王殿下の受禅(じゅぜん)(受禅(じゅぜん)践祚(せんそ))・即位後の「皇太子」の御位が空位状態なることを口実に、愛子内親王殿下を皇太子とし、将来の女性天皇・女系天皇を成立させるための布石として国会で皇室典範改定を謀ろうとしているのではないかということです。
現行皇室典範の第十一条第二項には「親王(皇太子及び皇太孫を除く。)、内親王、王及び女王は、前項の場合の外、やむを得ない特別の事由があるときは、皇室会議の議により、皇族の身分を離れる。」とあり、皇太子・皇太孫以外の皇嗣(こうし)殿下(でんか)であれば「皇室会議の議」によって、「皇族の身分」を離れさせる可能性がでてくる余地もある、と解釈されかねないと思います。そもそも皇室の事を論じる「皇室会議」の構成議員十名のうち、天皇陛下を除く皇族が二名しか出席しないこと自体がナンセンスです。
第二点目として「退位特例法」の作成成立過程自体も問題でした。
政府与党は、今上陛下の御譲位に際して、国会が喧々諤々の議論となり国論が割れることを避け、野党と根回して全会一致の賛成を経て表面的に穏便な法律成立を優先させました。
野党は、この与党の姿勢の間隙をついて、法案に付帯決議に「女性宮家」なる言葉を導入させたのでした。
そもそも、皇室伝統の解体に繋がる「女性宮家」の導入を意図し、いわゆる「天皇制」を廃止することをテーゼとする政党が皇位継承に関する議論に参加すること自体が、国体破壊を促す意図をもつものであることは自明の理というべきでしょう。従って与野党の妥協の産物として成立した「退位特例法」は皇統護持の観点とは真逆の法律にならざるをえないのです。しかも今回の「退位特例法」をめぐる議論において菅官房長官は以下のように答弁しています。「法案の作成に至るプロセスや、その中で整理された基本的な考え方は、将来の先例となりうる」つまり「退位」や付帯決議に明記された「女性宮家」の考え方は、今後の皇室典範改定の議論・法案の「先例」になるという解釈の余地を残した見解を表明したことになります。すでに今上陛下一代限りの『退位特例法』の『特別例外の措置法』という意味がすでに捻じ曲げられている実態を認識しておく必要があると思います。
谷口雅春先生は、ご生前次のように警告されておられました。
「偉大なる芸術家は、鋭敏に対象の生命を観る。そして勇敢に、その生命そのものを筆端に縦横に走らせてそれを描く。偉大なる政治家は、まず国家の生命を把握する。そして国家の生命を生かすために今何を為すべきかを自覚して、勇敢に、芸術家が縦横に筆を走らす如く、縦横無尽に躊躇なく、他人や他党の顔色を見ることなく、断行すべきことを断行するのだ。(中略)
 譲歩と妥協による一時的平和ムードで現行の憲法を温存しておく間に、病菌の如くビールスの如く、赤化思想が国内に浸透して、病原体が人体を滅ぼす如く、国家を滅ぼしてしまうのである。」(谷口雅春『私の日本憲法論』)
まさにわが国の現状は、占領憲法を「温存」しつつけてきた結果、国家滅亡への道を歩みつつあるのであり、今回、政府与党が野党との「譲歩と妥協」によって、一連の「女性宮家」付帯決議付「退位特例法」を成立させた結果、更なる国体破壊へ繋がっていくことをも鋭く洞察したお言葉であるといえましょう。
もしも安倍総理が「偉大なる政治家」たらんとするならば、「縦横無尽に躊躇なく、他人や他党の顔色を見ることなく」、現行の占領憲法及び皇室典範の無効を確認し、大日本帝国憲法と正統皇室典範(明治皇室典範)の復元宣言を行うのが、本来とるべき道であったと思われます。なぜなら、皇室伝統・慣習法に基づく『法の支配』の観点からすれば、「悪法は無効なり」であり、わが国の主権が失われた時期に制定された正当性のない占領憲法や占領典範、それらに立脚した「退位特例法」は必然的に無効といえるからです。
では、ここで現行の占領憲法と帝国憲法を比較対照しつつ、問題点と今後の施策について述べたいと思います。。
日本国憲法(占領憲法)
第一条 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。
第二条 皇位は、世襲のものであつて、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する。
占領憲法第一条・第二条を前提とする限り、現在生きている「主権の存する」国民が「総意」の名の下に、歴史伝統や皇祖皇宗・祖先の遺志を無視して天皇の地位を変えることになり、また今回の「退位特例法」のように、国会の議決による法律に堕した皇室典範をいかようにでも改定・改悪し、皇室廃絶・國體破壊を進めて行く帰結をもたらすでしょう。
次に、帝国憲法の第一条・第二条・第七十四条を挙げてみます。
大日本帝国憲法(明治憲法・正統憲法)
第一条 大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス
  第二条 皇位ハ皇室典範ノ定ムル所ニ依リ皇男子孫之ヲ継承ス
  第七四条 皇室典範ノ改正ハ帝国議会ノ議ヲ経ルヲ要セス
帝國憲法第一条では、天皇の永続が条文で確約されていますし、第二条については、伊藤博文公の『帝国憲法義解』よると、皇室典範を「皇室の家法」と位置づけ、「将来に臣民の干渉を容れざることを示すなり」と説明されていました。つまり皇室典範は、本来「臣民(国民)」の干渉は受けない至高の『法』であり、憲法と同格の位置付けで現在のような「法律」ではありませんでした。
因みに明治皇室典範の第一条は「大日本国皇位ハ祖宗ノ皇統ニシテ男系ノ男子之ヲ継承ス」とあり、『皇室典範義解』には「皇統は男系に限り、女系の所出に及ばざるは皇家の成法なり」と解説がなされ、皇室の歴史と教訓を踏まえて、皇位継承は男系男子で女系は認めていませんでした。
第七十四条については、「皇室典範は皇室自ら皇室の事を制定する」と「帝國憲法義解」では解説がなされ、皇室の自治と自律が明確に保障されていたのです。
これらの点を踏まえれば、今回の今上陛下の御譲位や安定的な皇位継承に関しても、国会の議決でなく、帝国憲法を復元し正統なる明治皇室典範を皇室に奉還して、旧皇族に皇籍復帰して頂き、天皇陛下中心の「皇族会議」を復活した上で、「皇室が自ら皇室のこと」をお決めいただけるように環境を整えることが『臣民』としての務めでなのではないでしょうか。
2015-08-09

1036名の特攻隊員の遺影を探して全国行脚された板津忠正さん




 産経新聞8月1日特殊・特攻の記事に、知覧の特攻平和会館初代館長の板津忠正さんのことが掲載されいました。
 私は知覧の平和会館を訪ねた折、若い特攻隊員の遺書や笑顔の写真に接し、涙が止まりませんでした。
 その遺書や写真を生き延びられた板津忠正さんが、自費で集められた事を知り、感嘆すると同時に、国のために命を捧げられた英霊のために政府はなぜ動かないのか。遺骨収集も然りです。激戦地での遺骨収集も70年経った今もなお多くの遺骨が残されていることに、悲憤を感じます。政治家は個々の失言を取り上げ凶弾に時間を費やすことなく、もっと大切な事を進めるべきだと思います。

板津忠正さんは特攻に志願して、二度も出撃命令を受けながら、エンジントラブルや天候が悪く、いづれも出撃が中止され、終戦を迎えられました。
 板津さんは「国のため、肉親のため死ねる」と出撃できる事に感激していたにもかかわらず、生き延びてしまった。同期の特攻隊員たちと「靖国神社の鳥居の下で待ち合わせてから入ろう」と約束されていました。それなのに、自分だけが生き延びてしまったと悔やまれて、呵責に負い詰められていました。その時知覧で食堂を営み、特攻隊員を見送り続けた鳥浜トメさんに
「あなたが生かされたのは,何か意味あって生かされたんだよ」と言われ、生きる事の使命感を憶えられたのです。
 そのうち世間の風潮が特攻隊に対して『犬死だった』『無駄死にだった』と偏見の言葉を聞くようになり、中には『殴られるのが嫌で志願した』と特攻隊員の心と死を冒涜するようなことを平気で言う人もいたりして、許せない気持ちになられたのでした。
 「特攻隊の死は無駄ではなかった。風化させてはいけない。後世に伝えなけれいけない。」との強い思いから、仕事の傍ら、戦没者名簿を手に、全国の遺族に特攻隊の真実を伝えながら遺品や遺書、遺影を集めて、一軒一軒を探して廻られました。
 平和会館が建設された昭和59年には1036名のうち、まだ384人の遺影が見つかっていなかったそうです。その後も特攻隊員の御霊に押されるようにして、384名の遺族を捜し求めて、ようやく1036名全員の遺影をそろえることが出来たのです。終戦から四九年が経っていました。板津さんの涙ぐましいご努力、執念、使命感の賜物だったと思われます。どんなにか、ご苦労が実り、ほっとされた事でしょう。板津さんのような方が居られて、特攻隊の方達も浮かばれたことでしょう。

 支那や韓国に虚偽の報道に毅然として、真実を語り反論することなく隣国に気兼ねして来た政府、隣国を応援するような報道をしてきたメディアのために、日本は貶められているのです。国際的にも誤解され負目を負わされている状態の今日を思うとき、先人達に申し訳ない気持ちで一杯です。命を掛けて国を守りひいてはアジアの国々を独立へと導いた先人達の功績を決して忘れることなく、感謝し、後世に伝えていかければと改めて決意いたしました。
今日の日本の繁栄、平和は英霊のお陰であることを肝に銘じ、後生に伝え、先人達が命を掛けて守ってくれた伝統ある素晴らしい国日本が、永遠に存続するように、今こそ叡智を極めるべきと考えます。
坪田陽子
2015-04-21

「恐るべき日本人、中国人留学生が日本で震撼した」



知人のブログで、中国の留学生が日本に来て日本の見方が変わった話が載っていました。
お知らせ致します。(坪田)

2014年8月22日、中国のインターネット上に
「恐るべき日本人、中国人留学生が日本で震撼した」
と題する文章が掲載された。以下はその概要。

正直に言えば、私は日本人が大嫌いだった。

私は中国では「憤青(※反日思想が顕著な若者)」であり、
われわれを深く傷つけた日本を憎んでいた。
しかし、日本に来てからはその認識を改めざるを
得なくなった。
「恐るべき」という言葉以外には形容できない体験を
日本でしたからだ。
この「恐るべき」は畏怖の念だと言っていい。
日本がわれわれを上回っている部分はあまりに多すぎる。
恨みはわれわれの目を閉ざし、理性を奪い、
身の程知らずにしてしまう。
日本の空港に降り立ったときから、違いははっきりしていた。
静寂、秩序、清潔…。
一つひとつのカルチャーショックが、私がそれまで
抱いていた日本に対する印象を否定していった。
●謙虚
人同士は、互いに客人のように相手を尊重し合う。
●清潔
街は異常なほど清潔。
日本人の靴は靴底まできれいと言っても大げさではない。
●秩序
信号を無視するドライバーや歩行者を見たことがない。
何をするにも列に並ぶ。
交通警察も少ない。
●仕事熱心
仕事になるとみんなミツバチのようで、暇そうにして
いる人はいない。
管理者は部下が日本人だろうが外国人だろうが親切。
その心地よい雰囲気は、中国にはない。
●安全
日本は治安が良く、拾ったものは自分のものにしない。
もっと言えば、落ちているものは拾わない。
●安心
全員が国民健康保険に入ることができ、整備された
社会保障システムがある。
●環境保護
日本のエコ意識は非常に高い。
ごみの分別が厳しく定められている。
この日本という「敵国」で、私は知らぬ間に、
礼儀正しく、謙虚で、きれい好きで、
ルールを守る人間になっていった。
2015-03-17

硫黄島戦没者遺骨引き渡し式


硫黄島戦没者遺骨引き渡し式をネットで見ました。
英霊の御魂達はどんなにこの日を待ち焦がれられたことでしょうと思い、涙があふれました。
英霊の皆様は家族のため、日本を守るために命を捧げてお働き下さいました。
お蔭で、今日の私たちの幸せがあることを忘れてはなりません。
それにしてもなぜ、マスコミはこのような大切なことを放映しないのでしょうか。
くだらない番組ばかり多すぎます。
日本は戦争した悪い国だとか。兵隊は悪いことをしたなどと、出鱈目ばかりを喧伝し、
日本を貶めるのはもう止めてほしい。
日本の軍人、兵隊は世界で一番正直で、倫理に基づき立派な行動をされたのです。
世界に誇れる規律正しい軍隊であったことを語らなければなりません。
今の自衛隊の皆様もその精神を受け継がれているのです。
だから今にしてようやく国民に認められるようになりました。
これからもっと、日本の素晴らしさを若い方たちに伝え、
日本人の誇りを取り戻していただきたいと切に願っています。  坪田陽子
2015-01-09

『明治初心の精神に立ち返るとき』


遅ればせながら新年明けましておめでとうございます。本年も何卒宜しくお願い申し上げます。

 1月7日付け産経新聞『正論』欄に、文芸評論家・新保祐司氏が「戦後70年の認識を言動の根本に」という論稿が掲載されていました。(http://www.sankei.com/column/news/150107/clm1501070001-n1.html)
 その中で新保氏は、「戦後70年後の今年から3年後には、明治維新150年の年(2018年)を迎えること」を念頭に、「明治初年の精神を取り戻さなくてはならない」とし、「その高貴なる精神の代表者」として西郷隆盛を挙げ、『敬天愛人』の思想(注1)こそ日本人は想起すべきであると主張されておられました。
 また1月8日付け産経新聞『正論』欄に掲載された東京工業大学名誉教授・芳賀綏氏の論稿「高朗なる明治の精神に立ち返れ」も、新保氏とほぼ期を一にして同主旨の内容を述べておられます。
 (http://www.sankei.com/column/news/150108/clm1501080001-n4.html)
 その中で、芳賀氏は、平川祐弘氏の著書『』平和の海と戦いの海』を紹介しつつ、終戦後の昭和21年元旦に出された『年頭詔書(「年頭、国運振興の詔書(新日本建設の詔書」』の真意に触れられ、『年頭詔書』の最初に『五箇条の御誓文』が引用されているのは、「日本の民主主義は敗戦を機に取って付けたもの」ではなく、「五箇条の御誓文にその根本理念が明示されており、近代日本の国家運営は民主主義を基底として出発した旨も、この詔書で明らかにしたい、という昭和天皇のご意向によるものだった」と昭和天皇の大御心を改めて確認しておられます(注2)。
 芳賀氏は、更に「昭和天皇の同じ見方」をしていた言論人として石橋湛山を挙げて、その主張を次の様に解説されているのはとても重要です。
 
 「湛山は明治から敗戦まで40年近く、自由主義の言論一筋に生きた人で、自身が社長だった東洋経済新報の昭和20年9月1日号『社論』に論じた。旧敵国の求める民主化は難事ではなく、五箇条の御誓文こそ、敬慕する明治大帝が「デモクラシーの真髄を道破せられた」ものであり、基本的人権も欽定(明治)憲法の柱で事新しくはない、「日本国民は速(すみや)かに五事の御誓文と欽定憲法とに帰れ。しからば米英ソ支、何事をなすを得ん」と。満々たる自信と厳然たる対勝者姿勢。40年一貫した剛毅(ごうき)不屈さが躍如としていた。」(傍線引用者)

 GHQの占領下にあって堂々たる論陣を張った自由主義者・石橋湛山の胆識もさることながら、当時の湛山の憲法観は特に注目すべきです。戦前「小日本主義」を唱えいわゆる「軍国主義」と闘った石橋湛山は、「左派リベラル」・進歩的文化人からも評価が高い人物ですが、デモクラット・湛山が『速やかに五事の御誓文と欽定憲法に返れ』と主張した見識をわが国の左右両派すべての政治家には是非とも共有して頂きたいものと切に願います。
 真にデモクラシーを擁護するのであれば、わが国の主権と国民の真の自由が奪われた占領下での、「憲法改定」は当然認められないと思います(しかも現に正論を主張したリベラルデモクラット・石橋湛山はいわれなき公職追放の憂き目にあっています)。湛山を評価し、自由とデモクラシーを尊重する者であればあるほど、今もって「日本国憲法(占領憲法)」を押し頂いている状況に対し、屈辱と感じるのが正常な感覚であり、『占領憲法無効・帝國憲法復元改正』の立場をとるのが筋ではないかと思うのです。
 戦後70年を迎えた今年。改めて真の「戦後体制(戦後レジーム)からの脱却」の意味を考え着実に実行していかなければなりません。その鍵は、畏れながら明治大帝の大御心をわが心と為された昭和天皇の御詔勅と御製、そしてその御事績にあると昭和天皇祭に際して思った次第です。

(注1)「敬天愛人」については、『西郷南洲遺訓』(岩波文庫)。あと黎明教育者連盟『観の教育』平成26年8・9月「偉人の言葉」参照。
(注2)『年頭詔書(「年頭、国運振興の詔書(新日本建設の詔書」』の真意の詳細については、黎明教育者連盟ホームページ「コラム『日本の国柄』」参照。
 http://reimei-kyoren.com/koramu/kunigara.html


柴田
2014-11-05

「英霊を偲ぶ 心の旅」体験記

「英霊を偲ぶ 心の旅」体験記  (鹿児島)10/20-22
さくらチャンネルの新垣さんの企画と知って参加させて頂きました。期待を遙かに上回る素晴らしい企画で、慰霊に情熱を傾けて居る5人の同行者との充実の旅でした。知覧の特攻隊の事だけは知っていましたが、今度の旅で都城、鹿屋、串良、万世や指宿等の沢山の特攻基地があって、とても沢山の若い優秀な青年達が祖国を守るために自分の命を捧げて下さった事を知り 認識を新たにしました。数々の慰霊碑と慰霊塔にお花をお供えして感謝の祈りを捧げ、資料館や記念館をゆっくり見学させて頂きました。
 今回の旅行で1番心を打たれた出来事は、串良海軍特攻隊出撃戦没者慰霊塔でのことです。予定の時間より遅くなり日が暮れて真っ暗になってから到着しました。広い公園には街頭の明かりはありましたが、慰霊塔の上は暗かったので懐中電灯で隊員の名簿をざっと閲覧して献花、拝礼して下に降りたときの事です。塔の左右に1本ずつある国旗掲揚のポールの左だけが風も無いのに揺れていると、指摘されたのです。周りに何の振動も無く、周囲の木々の葉を揺らす風も無い静寂の中で ただ1本のポールだけが旗も無いままで揺れていたのです。皆で驚いて見つめると更に激しくポールが揺れました。新垣さんが『左は隊員名簿のある側だから、英霊達が喜んで呉れているのですよ』と言われ、来て良かったと胸が熱くなりました。皆の見守る中 やがて揺れが収まったので車に戻りましたが英霊達の姿を観た思いがしました。
 「特攻を串良の塔に詣でれば 揺れるポールに英霊を観ず(かんず)」
 神奈川 加納孝子

都城陸軍墓地4-S
神雷特別攻撃隊慰霊碑4-S
鹿屋特攻隊戦没者慰霊塔14-S
串良海軍特攻隊出撃戦没者慰霊塔3-S
知覧特攻平和会館4-S
万世特攻平和祈念館14-S
比島戦没者慰霊碑4-S
2014-10-01

夢や希望や目標は困難を乗り越える力となる


ヒュー・ハー氏は1964年、米ペンシルバニア州生まれ。7歳で登山を始め、若手登山家として名を馳せていました。17歳の時、登山事故に遭い、両足切断を余儀なくされたのです。
 彼は今一度登山をしたいとの切なる願いを実現するべく、義足の研究に励みました。研究に研究を重ねてバイオニック技術を用い10年を経て険しい山・ロッククライミングするための特殊な義足を作ったのです。
足を失ったとき、体が壊れたと思わなかった。人は絶対にこわれない。壊れているのは人が作った環境や科学技術、人間は技術革命により、障害を克服し、より一層快適な暮らしができるのであるとの思いで挑んだと云われます。
そして今は登山家としてだけでなく、戦争や事故で失った足をその人に合った義足を提供し、世界中の人に喜ばれています。
ボストンテロで足を失ったダンサーが義足をつけて涙ぐみながらダンスを披露している姿は感動的でした。
 彼が足を失っても挫けることなく、好きなロッククライミングをしたいとの強い思いが、性能なすごい義足を生み出したのです。
 ヒュー・ハー氏が素晴らしいのは「目指すは自分ひいては皆の障害を無くこと」と言って、より一層高度な製品を目指しておられることです。まさに人は皆無限力を与えられているのです。積極的に生きていきたいものです。(坪田陽子)
プロフィール

黎明教育者連盟

Author:黎明教育者連盟
黎明(れいめい)教育者連盟は皇室を敬い、伝統文化を守り、戦後の誤れる教育を正し、­日本の再興を子供の教育から目指す教育団体です。
小学生向けの「寺子屋」や、親子参加型の「親子寺子屋」「乳幼児寺子屋」などを中心に、絵画­教室、書道教室、礼法教室、着物教室、歴史講座、古事記勉強会、童謡・唱歌わらべ歌の­­­会、子育て相談などを運営しています。現代の興廃した教育環境の中で、自分の子供­にはどんな教育をしたらいいか、お悩みではありませんか。日本人として誇りの持てる人­生­を­お子様には歩んでほしいものです。どなたでも参加出来ます。ぜひお気軽にお問­い合わせ下さい。
http://reimei-kyoren.com

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